動画の冒頭でインタビューに答えていた22歳になったばかりのPlestia Alaqadが、
「パレスチナの人々はレジリエントで辛抱強いと人々は言うが、我々は選択の余地がなくそうせざるを得ないだけで、我々はあなた方と同じ人間であることを忘れないでほしい」
とコメントしてたのが心に刺さっていたので改めて視聴するなど。
4:50あたりから。
彼女ふくめ、ガザから必死に世界中に発信している人々はイスラエルにとって苦々しい、はやいとこ消し去りたい存在であるだろうと想像できるが故に、こうやって生きて発信してくれているのを見るだけでホッとするのだけれど。
映画ホテルルワンダで「海外の知人がいるならお別れの電話をかけろ。その時に手を伸ばして掴むのを忘れるな。なんとか相手の助けを引き出せ」的なアドバイスをしてるシーンがあったように記憶するのだけれど、ガザの人々が意図してやってるかどうかは別にして、我々がそういう判断を突き付けられているという自覚は常に持ちたいよなと。
Hotel Rwanda (2004) - There Will Be No Rescue Scene (9/13) | Movieclips
https://www.youtube.com/watch?v=Ak8uiLVkpy4&feature=youtu.be
Many of you know influential people abroad.
You must call these people.
You must tell them what will happen to us.
Say goodbye.
But when you say goodbye, say it as though you are reaching through the phone and holding their hand.
Let them know that if they let go of your hand, you will die.
We must shame them into sending help.
日本でマイノリティでいると、敵対的な偏見をむき出しにしてくる人と、「在日の方々は偉いですよね」となんかよくわかんねえ持ち上げ方をする人々と大別できるのだけれど、持ち上げてくる派も偏見を投影してるだけなんだよなーと。
そんなことをPlestia Alaqadのコメントに向き合うにあたり想起したりしました。