Why human compassion decreases the more people are killed? | The Stream
youtube.com/watch?v=kLNXrJMWPZ

動画の7:30あたり。
通常は命を脅かされる、亡くなる人が多くなればなるほど関心がよせられるものだが、Psychic numbingの状態に入ると一定の数以上は関心が寄せられない。
ばかりか、Compassion collapseがおこると人が亡くなれば亡くなるほど関心が薄くなる、という指摘。

パレスチナ、ガザの市民は数字ではなく、それぞれに名前があり、生活があり、好きな食べ物があり、嫌いな人がいたり、我々と何も変わらない人間であり、そういった我々とわ何も変わらない人々が2万人近く殺されている、という現実に目を背けず、関心を寄せ、Compassionを寄せてゆこう、と。

動画の冒頭でインタビューに答えていた22歳になったばかりのPlestia Alaqadが、
「パレスチナの人々はレジリエントで辛抱強いと人々は言うが、我々は選択の余地がなくそうせざるを得ないだけで、我々はあなた方と同じ人間であることを忘れないでほしい」
とコメントしてたのが心に刺さっていたので改めて視聴するなど。
4:50あたりから。

彼女ふくめ、ガザから必死に世界中に発信している人々はイスラエルにとって苦々しい、はやいとこ消し去りたい存在であるだろうと想像できるが故に、こうやって生きて発信してくれているのを見るだけでホッとするのだけれど。
映画ホテルルワンダで「海外の知人がいるならお別れの電話をかけろ。その時に手を伸ばして掴むのを忘れるな。なんとか相手の助けを引き出せ」的なアドバイスをしてるシーンがあったように記憶するのだけれど、ガザの人々が意図してやってるかどうかは別にして、我々がそういう判断を突き付けられているという自覚は常に持ちたいよなと。

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日本でマイノリティでいると、敵対的な偏見をむき出しにしてくる人と、「在日の方々は偉いですよね」となんかよくわかんねえ持ち上げ方をする人々と大別できるのだけれど、持ち上げてくる派も偏見を投影してるだけなんだよなーと。
そんなことをPlestia Alaqadのコメントに向き合うにあたり想起したりしました。

Hotel Rwanda (2004) - There Will Be No Rescue Scene (9/13) | Movieclips

youtube.com/watch?v=Ak8uiLVkpy

Many of you know influential people abroad.
You must call these people.
You must tell them what will happen to us.
Say goodbye.
But when you say goodbye, say it as though you are reaching through the phone and holding their hand.
Let them know that if they let go of your hand, you will die.
We must shame them into sending help.

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