なお、フランクフルト裁判をご存じない方は映画”顔のないヒトラーたち”をご覧ください。
https://twitter.com/upasampada/status/1588372999069396992
マストドンでもちょこちょこ書いたはずなんですが、自分の書いたものも検索できないという…
https://fedibird.com/@upasampada/110291726286994936
SNSのウイグルガーと入管法改悪反対のコントラストをみていて、このチョムスキーの"アメリカは人権問題なんてどうでもいいと思っている"という言葉と特高警察が入管に移行した経緯を改めて考えてみると、見事に繋がってるんだなと。
何言ってるのかちょっとよく判らない、という方に補足しますと。
皆さんが大好きなナチスで例えると、反ナチス運動をしていた人々を取り締まり投獄虐殺していたのが秘密警察のゲシュタポという組織です。
戦後は反共産主義のために元ゲシュタポの人間が恩赦され働いていました。
ザックリ言ってしまうと日本の特高警察はゲシュタポと同じようなものです。
そしてその組織は表向きは解体されてますが、入管と公安に人員や思想は受け継がれます。
誰が許可したか、というとGHQなんですよね。
USAです。
そして当時の入管の主なターゲットは日本の敗戦まで強制的に日本人にされていた植民地の人々、特に共産化が進んだ朝鮮半島、中国の人々を日本に入れないことです。
既に日本に生活の基盤があり、日本国籍だった旧植民地の人々、圧倒的多数が地理的に近かったので多数徴用した朝鮮半島南東部の人々ですが、彼ら彼女らも入管の対象となり、人権侵害を常に受けてきたわけです。 [参照]
入管法改悪を肯定してる”普通の日本人”と比べるまでもなく、これに反対の声を挙げている方々はとても良い人達なのだと思いますが、マストドンでも結構な数の投稿がナチスによるアウシュヴィッツとかに例えてるんですよね。
ああ、大村収容所とか知らないよね、そうだよね、と。
私の中の感情をかなり抑えて書いてますが、そういう”善良な”方々であっても自国の歴史を知らなすぎるんだよなと。
なるほど、だから日本国憲法が美しいとか言えるんだなと。
過去の、と書きましたが、暗渠化しながらも現代まで連綿と続いてるわけですよね。
日本帝国は。
先日のNoHateTVで、野間さんが「"東京は夜の七時"のPVを見ると泣けてくる。あの頃はヘイトデモとかなかったよなと」という趣旨のことを仰ってたかと思いますが、確かに90年代中頃から2000年代前半まで一時よかった頃もあったものの、考えてみるとあの頃私は中高生で、チマチョゴリを見たら絡んでくる卑劣な輩から女子学生を守る目的で一緒に下校したりして、絡んでくる日本の学生と喧嘩になり、弱かったのでボコボコにされて鼻血流したりしてたよなと。
外人登録証明書に指紋捺印させられたりね。
別に昔が良かったわけではないのです。
@upasampada チマチョゴリ切り裂き事件が1994年なので、ヘイトクライムは連綿と続いてますよね。
https://fedibird.com/@upasampada/110191971668310275
何度か書いてますが、USAは日本と同じように、西ドイツにおいても戦争犯罪者を恩赦して使役してたわけです。
でも、これを無かった事にはできない、とフランクフルト裁判を開き、有耶無耶にしようとした戦争犯罪を明るみに出したわけです。
http://www.newsdigest.de/newsde/column/jidai/1941-der-frankfurter-auschwitz-prozess/
”当時、司法内部にはナチ党員の活動歴を隠す裁判官や検事が数多く存在し、政治中枢も国内での裁判を望まなかったのである。こうして61年、アイヒマンがイェルサレムの法廷に立ったとき、西ドイツ国民は背負った過去の重さに圧倒されてしまった”
”世論調査では54%の国民が裁判に反対。新聞には、「もうたくさんだ」「異常な状況下での行為に罪を問うのか」などの投書が並んだ”
”西ドイツではこの後も、責任追及派と終止符を求める声が対立した。そのプロセスを経て時効は2度延長され、3度目に廃止された。そして現在、歴史家はこの裁判を社会のターニング・ポイントだったと評価している。匿名だった民族虐殺の実行犯に初めて名前と顔がつき、この時から過去の検証が始まった。ドイツ人の歴史認識を変えたのは、勇気ある検事、裁判官、そして証言者たちだった” [参照]