「原爆とか酷い兵器使いましたよね。人間に使っちゃダメでしょアレ」という、人道的観点から世界に訴えられる恨み節をまるっと捨てることになっても、権力側に都合の悪い画像のような主張を排除したい、ということなんだろうなと。
「おまえこの戦争が日本人みんなのためになっているとおもっているのか」
「ひとにぎりの金持ちがもうけるため国民のわしらになにひとつ相談もなくかってにはじめたのだ」
「戦争にいってもおれだけはタマにあたらんとおもっているのか」
「ばかたれっ戦争で人殺しをするためにおまえをそだてたんじゃないぞ」
「おまえは金持ちのために死んでやるのか!命を大切にせえ」
「わしの宝を戦争で殺されてたまるか」
この剛吉や政二さんの包帯の姿…かなり印象に残ってます。
ゲンの父親のような主張は、これがこうなったらこうなる、というロジックを自分の頭で考えられる人間であればだれでも持てるものだと思うんですよ。
希望的観測が過ぎるのかもしれませんが。
でも実際は、マジョリティの日本人は画像のように、自分の大事な主人や息子を「国のため天皇のためにりっぱに死んでこい」と送り出した。
そんな事は本当に愚かだった、これを忘れてはならない、という教材として機能していたはずですし、今の世の中にこそ必要な教材のはずですよね。
それをわざわさ外してしまう広島市教育委員会。