突き放したことをいえば、広島の原爆被害というものは、大日本帝国が朝鮮半島はじめアジア各国に侵略戦争を行い、結果としてしっぺ返しを食らったというものであて。それを題材にした”はだしのゲン”も、何かこう冷めた目で見ている私がいるのは否定できないところです。
一方で、そういう被害者ポジションからでしか戦争というものを見ることができないこの国の多くの人々にとっては、まず取っ掛かりとなるマンガなんだろうなと理解するところではあり。それを広島市教委が平和学習教材から外す、というのは、まあ、戦争がしたいんだろうな、という感想しかないですよね。
「原爆とか酷い兵器使いましたよね。人間に使っちゃダメでしょアレ」という、人道的観点から世界に訴えられる恨み節をまるっと捨てることになっても、権力側に都合の悪い画像のような主張を排除したい、ということなんだろうなと。
「おまえこの戦争が日本人みんなのためになっているとおもっているのか」「ひとにぎりの金持ちがもうけるため国民のわしらになにひとつ相談もなくかってにはじめたのだ」
「戦争にいってもおれだけはタマにあたらんとおもっているのか」「ばかたれっ戦争で人殺しをするためにおまえをそだてたんじゃないぞ」
「おまえは金持ちのために死んでやるのか!命を大切にせえ」「わしの宝を戦争で殺されてたまるか」
ゲンの父親のような主張は、これがこうなったらこうなる、というロジックを自分の頭で考えられる人間であればだれでも持てるものだと思うんですよ。希望的観測が過ぎるのかもしれませんが。
でも実際は、マジョリティの日本人は画像のように、自分の大事な主人や息子を「国のため天皇のためにりっぱに死んでこい」と送り出した。
そんな事は本当に愚かだった、これを忘れてはならない、という教材として機能していたはずですし、今の世の中にこそ必要な教材のはずですよね。それをわざわさ外してしまう広島市教育委員会。
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