今週のNoHateTV、後半からの野間さんワールド全開で面白かったなと。
特にマーシャル・マクルーハンの”地球村”という、一見おおらかそうなコンセプトに見えて実はムラ社会ってのは殺伐としてるんだよ、勘違いすんなよ、という解説はなかなかなインパクトがありました。

youtu.be/SjHIMkHqV0w?t=5286

tvo.org/video/archive/marshall

ぐぐったら引用インタビューの全編のようなものが出てきたのでメモ。
あとでみるかも。

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sgu.ac.jp/soc/ssi/papers/58.pd

まったく知らなかったのですが、マクルーハン氏はメディア論でも有名なのですね。
また、多くの人に”地球村”というコンセプトが氏の提唱するものとは違う認識で受け取られがちなのだな、という事もなんとなく理解してきました。

-(現代人は)部族的で、集合的、個人の意識を持たない古代人の二分心的な意識へ戻っています。
-しかし、この部族的世界は友好的でないように感じるのですが。
-そのとおりですよ。部族的世界の人間は互いに殺しあうのです。部族的社会は危険の絶えない社会です。
-我々がグローバルで、部族的になれば、我々は…
-我々がもっと緊密になれば、互いにもっと好意的になれるとでも?
-ええ。
-そんなことはありえませんね。
-人間同士は近づけば近づくほど野蛮に、不寛容になるのです。
-それが人間の本質なのでしょうか?
-狭い環境では、人の寛容度に大きな負荷がかけられるのです。
-村落共同体の人々は、さほど互いを愛していないのです。
グローバルビレッジとは、脅迫的なインターフェイスであり、非常に神経をすり減らす環境なのです。
(中略)
-できるだけ摩擦の起きないような出会いが必要なのです。例えば車輪と軸の関係のように、隙間が必要なのです。ある程度の遊びが。そのように、我々の間にも潤滑油のような、一定の距離が必要なのです。
-そのようなディスタンシングは世界的な傾向が?
-そうですね。分離主義の台頭は世界中で頻繁にみられます。リージョナリズムやナショナリズムを掲げる集団が台頭しています。ベルギーにおいてすら。

-しかし、例えばケベックでは、分離主義をアイデンティティの追求と定義しています。
-あらゆる暴力はアイデンティティを追求する行為です。フロンティアを生き抜くとき、あなたにアイデンティティはありません。あなたは何者でもありません。だからとてもタフになります。あなたは自分で、自分が特別な存在であると、力づくで証明する必要があります。それであなたはとても暴力的になるのです。アイデンティティには、常に暴力が伴うのです。
一般市民にとって、暴力は自分たちのアイデンティティを奪うものです。暴力はかれらのアイデンティティを脅かすものでしかありません。テロリストやハイジャック犯などは負のアイデンティティを持ちます。彼らは何とかして注目されることを固く誓った人々なのです。

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