最近、自分の好きなコンテンツ内の好きなものに公式供給があることを「燃やされる」「焼かれる」と表現するのをみかけて(うれしいはずなのに、反応も阿鼻叫喚みたいな感じ)今まさに現実での空爆に晒されてる国がある中で、その表現は適切だろうかと、うーむと考えこんでしまった。嬉しくて高揚する気持ちが過ぎるあまりの反転表現だとは思うんだけれど、ちらりと見かけてしまうたびにちょっとお腹がしくしくします。
「燃やされる」「焼かれる」だと悪い意味の炎上のイメージの方が強いんだけど、確かに反転表現として使われてるのも見たことある気がする。「公式に殺される」とかも使われてるし、深く考えたことなかったけどあまり良い表現ではないよね…。
インターネット老人会としては公式から供給があると「祭りじゃー!!」だったから、今思うとポジティブで #fedibird [参照]
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