冒頭で始まるフランコ独裁と内戦という文脈からの解放のお題だが、結部の怪物と精霊のメタファーこそが内戦だろ?ともう一周して回帰するだけに思えた。https://www.thecinema.jp/post/article_letters/S8xXf
わざわざテロップで時代を特定するとき、伝わらないとしても「知らん奴が悪い」と言えるクライテリアは発動するし、まあ知らんとしても後から気になるとか、言われて補足情報でなるほど、となる経路として残るように使われる。作品において、観客が気に留めるフックとして使ってる事実はある。そこを無視しすぎ。知りませんし知りたいと思いませ〜んとおちょくってるようなスタンスの記事。
作品外の知識を要求する特定論者かそういう議論に対する怒りが隠れた動機かなと思った。あるいは、蓮實のエリセ語り(政治的文脈消しまくり称賛)→それに対抗する細川晋のエリセ本(政治的アレゴリーの強調)→…と連鎖しているシーソーゲームの変な余波か。