静謐なのに心臓を鷲掴みにしてくる。ただただすごい。
【コミックDAYS読み切り】遠い日の陽 https://comic-days.com/episode/14079602755391426482
@MakoSaiki 「道徳の子」と同じ月のモーニング月例賞だ。モーニングの新人枠がんばってますね
@ttt_cellule
多分DAYSネオでマッチングして賞に導いてるんでしょうね。プロデュースがうまい編集者がいるのかも。
@MakoSaiki ジャンプラが吸収できなかった「四季賞の良さ」を現代化させることに成功した、と思いました
@ttt_cellule
なるほど〜。
それにしてもデイズネオ、秋田書店とか他社も参入してきて、もう出版社が垣根を取っ払わないと…という危機感を感じつつ、それはそれで良きことだと思います。いちいち一社ずつ持ち込みって作家側からすると効率悪いし精神的な負担もデカいので。
@MakoSaiki DAYSネオ、知らなかったです。いつのまにこんなことに。これは角川系がコミックウォーカーで統合している動きへの対抗っぽいですねえ…
@ttt_cellule
もう「雑誌」というパッケージが壊れちゃったので各出版社が自社アプリを立ち上げて全雑誌を統合したけど、それすらもう壊れちゃって、自社だけじゃやっていけなくなったということなんでしょうね。。。
@MakoSaiki 雑誌パッケージが壊れたことについて、いろんな角度でたくさん議論が出てほしいんですけど、なんか全然足りないと思うんですよ…。雑誌を全然読まないタイプの漫画読みも昔からいるけど、雑誌立ち読みで漫画を広範囲にチェックしていたような習慣と視界はもう絶滅しかかってるでしょうね。
TSUTAYA渋谷のDVDとCDレンタルも終わったし、レンタルで過去のものを見れるという時代が終了しつつあって、でも配信にある古典映画って層が薄い。そういう節目がかなり露骨になってきている。
@ttt_cellule あとこれ雑誌パッケージが壊れたことと関係あるのかもですけど、やたら一つのジャンルだけが極端に隆盛して、そればっかりになるのがなんだかなーと。なぜあんなに異世界転生と悪役令嬢ばかりなんだ……。
@MakoSaiki あーこれはですね、私なら多角的な応答できるかも…。ちょっと考えをまとめてみます。ざっと言うと、昔なら、男性向け時代小説、女性向けレディコミの枠がこれだからなのと、ウェブ小説ほど男女それぞれのジャンルコードが狭くなりやすい(客の目を引くノウハウが定番になってそこにみんなすがるから)のと、あとは安価で生産できるコミカライズ企画に漫画媒体が依存しているのもありますね…
@MakoSaiki 書き始めたらめっちゃ細かくなったんですが、「ここわからん」って箇所あります?
韓国ウェブトゥーンの話もしなきゃいけないし、日本にとどまるj情勢でもないんですよね・・
このツイートの挙がってるのは全部韓国のものです。https://twitter.com/emiry_oinari/status/1681624428839604226?s=20
@MakoSaiki 体裁整えるなら冒頭ももっと手直ししないといけないなあ…
@ttt_cellule
えーと、ちょっと本筋から外れるかもですが。
こういうものが書かれる場合に必ず無視される、でも当時はめっちゃ課金されてたジャンルがあって、それは女性向けコミックの「感動モノ系」。性的な描写は一切なく、いわゆるご近所ドロドロでもない。その頂点に君臨していたのが、あまねかずみ氏です。私がデビューした00年代、雑誌の平台で女性向けコーナーの7〜8割の表紙イラストがあまねかずみ御大で占められてたんですが(多分再録雑誌だったと思います)、漫画研究者からは徹底して「ないもの」にされてるんですよね。そもそも漫画扱いされない。深見じゅん氏なら作品として評価されるわけですが。でもなんというか、あれが漫画扱いされないのって、ミソジニーを感じるんですよ。頭の悪い主婦が暇潰しに読んでるモノ、という。それを言うなら頭の悪いリーマンが暇潰しに読んでるモノだっていっぱいあったし、今もあるんですけどねえ。
評価はしなくてもいいけど、漫画史の一角に確かに置かれるべき存在だったと思うんですよ、あれ。売上的に見ても。
@MakoSaiki 埋没と忘却に任せる路線には、「歴史に残さないことで栄光を得る」みたいな逆手に取ったポジションもあるのが厄介で、レーベル閉じコンの話を記事でしましたけど、この界隈は自ら閉じてるんだから外から文句言われたかないという意識が強く、それは男女ともに見て取れる。「ゾーニングしてるのに荒らしに来た」とか言われがち。でもその代わりにその中にいる人はそのテリトリーの自由を満喫する、というふうに。
一昔前の腐女子の妙な自己評価の低さとかも、「表に出ない代わりに自由を得る」身振りみたいな面が濃厚でしてね。
そうなると、論じること自体が暴力だからやめろ、という反応もわりとありえる。
@ttt_cellule
なるほどです~。泡沫ゾーンを軽んじる傾向。
しかし文庫版や自選集まで出るほど「作家性」で売れていたのに、ウィキにも載ってないあまねかずみ氏。男性作家でいうと、誰に該当するんでしょうかねえ…。
@MakoSaiki ネットは70-90年代漫画にわりと冷淡で、無みたいに扱いますよ。Wikipediaだって当人かよほどのファンが活動してないと存在しないことはよくある。要は「その読者が積極的に活動しないなら無になる」。代わりに信者がたくさんいる作家は、読者同士で承認や格付けがめちゃくちゃ起きます。「お前が語るな」と烙印押したりとか。
@MakoSaiki あとは、男女それぞれの作家認定と言説の偏差と、「認定されててもネットで無」みたいなズレもありますよ。それとも、男性評論家が率先してやるべきだ!になるんでしょうか。たぶん今やったら、「島田ちか詩集を男性が編んだのは不当」「大島弓子論壇に男性は不要」みたいな論陣が一気に噴出すると思いますが…。
@MakoSaiki ちなみに私は悪役令嬢論ぐらい女性論客から出るものだと思って4年ぐらいずっと首を長くして待ってますが、ほんとに誰も書かないので(前回の文フリでやっとてとぱら委員会が『〈悪女〉のすすめ』を出した)、もうそういうのを期待するのをやめるようにしてますね。マンスプレイング呼ばわり上等でやるしかないと思ってる。なので、過去の泡沫エリアは男女問わずできるかぎり掘りまくり、とやっていくつもり。
@MakoSaiki 階層ズレ以外の原因だと、「書き手になるのはそもそもその業界の編集者が多い」という偏差があるから(南信長も漫画編集者ですしね)、その大元、つまり出版業界の人材がセクシズム強いのが原因だ、というのが大筋を規定している、とも言えるかな……。
@ttt_cellule
そうですねー、南氏は(西原の担当ではあっても漫画編集者とはいえないけど)80年代以降の漫画評論のはしりで、だから男性ばっかり目立っちゃってるところはあると思いますけど、私は「評論は男ばっかりだからマンスプ」とは思ってないです。女ま館が泡沫を無視しているのだって、あれもミソジニーの発露だといえますしね。
@MakoSaiki あ、そうか。途中からフリーになってたのを忘れてた>南
@MakoSaiki あとは、素朴にマンパワー限界もあるっぽいんですよね。これは、悪意や差別とは別のしょんぼりする話なんですが…。なんで図書の家路線しか活性化してないんだろ?マンガ研究者なにやってんの?とか思うんですが、要は人手不足っぽいぞと・・・
@MakoSaiki とはいえ、飯沢耕太郎の少女漫画概説とかを読むと、存命中にボコボコに批判しないとダメだなーとか、長島有里枝が飯沢耕太郎の写真論をボコボコにして宮迫千鶴には手心を加えたのはわかるなあ、とか思いますね。
韓国ウェブトゥーンの女性向け作品を見てると、実父や義父との摩擦や和解みたいな話が妙にあるので、私はちょっとギョッとするんですが、ここで、保守性も(なろうと同じく)あるにはあるんだけど、論じ方をミスると駄目なミソジニーで対象を括ることになりかねんな~とか悩みますね。で、昔の男性評論家の少女漫画論だと「少女漫画にはエレクトラコンプレックスがあって・・」みたいなことを臆面もなく書いてるんですよ。あの手の議論のひどさを考えさせられてしまうという・・
@ttt_cellule そういえばこの方、漫画研究やっておられるようです。ちょっと期待したい。
https://gendai.media/list/author/plus-alpha/sayakoueda
@MakoSaiki これは、既発表論文や登録してる科研費計画を見るかぎり、「漫画と認知科学」の路線かなー。心理学や認知科学のことを漫画を交えて説明するポジションの方を先にキープしちゃいそう。
認知科学系はすでに本があるものだとこの方面ですね。
https://www.kitaohji.com/book/b581672.html
これとジェンダー批評を混ぜられたらたしかにそれだけで面白い気もする。
@MakoSaiki 「雑誌編集者ならライターに転身しやすい」説はいくつか穴があって、現役編集者でライター化した人はまずいないので、ライターになると編集者廃業になるのが一体なケースのほうが多いんでしょうね。80-90年代ごろのライターは、漫画にかぎらずとにかく元編集者が多い。編集者に戻ってない点でも共通・・・。編集者とライター両方やってるのは今だと島田一志だけど、いまでも小学館にいるのかなあ。
@MakoSaiki あとは読者だった階層と、記述したり議論したりする階層のズレもありますね。ふた昔前、一昔前前までの富裕層女性はこれらの泡沫ゾーンをほとんど論じない。「24年組は文学的達成である」という認識はリソースがの投下先がとにかく集約されていたことと表裏一体と見る方がいい(これには24年組を語った団塊世代が今ではマンスプレイングに見えるというのもあるとか、聖別化の手続きが恣意的だという見直しがあり、そこで図書の家のミッションが起きているわけですが)。 でも、泡沫ゾーンを軽視して忘却に任せるのは男性カルチャーでもめちゃくちゃ強いので、そんなに変わんないんですよ。かつて覇権を手にした青年誌やサラリーマン漫画を振り返る本すら一冊ぐらいしか存在しないですから。