悪役令嬢ものでは、風評がひどいキャラの中に現代人が転生するので、ふつうに過ごしてるだけで「(評判と違って)お優しい…!」と褒められるギャップをまず仕込む。
大筋では、「原作世界のメインヒロイン/日陰者になる噛ませ犬ポジの悪役令嬢」を、噛ませ犬/主人公に反転させるのが悪役令嬢ものの基本形なんだけど、その「原作世界のメインヒロイン」の人物造形が18-19世紀の「徳のあるヒロイン」像のパロディになっているのがキモになる。
大河内昌「家庭小説の政治学」(20015)https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2159&file_id=18&file_no=1 で語られるように、リチャードソン『パメラ』の主人公パメラ像に付与される美徳というのは、近代社会の経済や家父長制にとっての都合のよさの気配が濃いわけだけど、これがパロディにされる段階が悪役令嬢ものだ、ということになる。
その結果、悪役令嬢側が「主体的」であるというふうに配置上の力学が生じやすい。貴族として領地経営をしているし、貴族間の生存競争で戦ってることから、「原作世界のメインヒロイン」との差異化属性が、そのまま生存術みたいに位置付けられる作中再解釈が加わっていく。