これは別冊宝島おたくの本で発言のことなんだけど、女性漫画家におけるBL(当時はやおいの扱い)、男性漫画家における百合(当時はロリコン漫画の枠)の作品などについて聞こうとするインタビュアーに対し、上野の発言が今の目では見るに耐えないものだった。
たぶん、モテーモテないのバイナリーコードがあって、後者の方に、マザコン、ロリコン、未成熟、魅力がない、などを放り込む手続きになってるんだけど、その結果、「モテて正常で成熟したら大人」規範がかなり強化されている。
が、こうした傾向は上野だけに見られるものではなく、わりと前世紀論客はこういう手つきが多かったことを思い出す。山田詠美にも中沢新一にも浅田彰にもそういうところがある。
そういう「これは未成熟のせい」「これは日本社会の未成熟」論法っていまなお根深く残っていて(浅田の日本ポストモダンは幼児的だとかの言説が中継言説)、小野寺のこの種の指摘などにも混ざる。
https://twitter.com/kmovie/status/1672760181757980673?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
スキップとローファーに出てくる主人公、ポピュリズム議員になりそうじゃね?といった疑義は私もわりと持つのだが(ていうか日本の漫画アニメの女主人公に私は「自民党/維新の女性議員になるかも」チェックをけっこう入れる)、すぐさまそれを日本社会の未成熟に議論をつなげてしまう。
浅田彰の呪いにでもかかってるんか?と思うが、こういうロジック使う人めちゃくちゃ多いんだよな。
「そこは上野と浅田らの一番しょうもない部分であり、美点は別のところ」と私も思うし、そういうのを記述する議論も出てほしいんだが、一番しょうもない部分に感染する人が多すぎるという問題がある。