関東大震災における朝鮮人虐殺を否定する人たちとその周辺のTwitter言説、じっくり分析するわけではないけど少しずつ眺めていると、「非常時に言葉のよくわからない人たちがやってきたらそれは怖いですね」「(福田村事件のような構図を)日本人同士の喧嘩なんだから虐殺とか差別とか関係ないですね」といったライトな虐殺否定層が目について、自分は彼らが最も恐ろしいと思った
9月1日に言うのを失念していましたが、この問題について考えるにあたって自分が常におすすめしたいのは藤野裕子『都市と暴動の民衆史』です。本書を読み返すたび、これは明治から現在へ(かれらからわたしへ)一直線に繋がっていく問題なのだと痛感します。
これはかれら、ある種の「保守」層の日頃の考え方:「性犯罪にあう女性は服装や言動に問題がある」「権利は義務を果たしたものにだけ与えられる」といったところと繋がる。逼迫した人生を送るながこうした因果応報の世界観を強固に信じ込んでしまった人にとっては、朝鮮人虐殺のような出来事も「仕方のないこと」として理由付けがなされてしまう。