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『幻日のヨハネ』5話観た。久々に一話使って人物のドラマがきちんと語られていてよかった。とはいえヨハネに案内されるマリは、かつてハナマルたちと街へ出始めたころのヨハネに重なり、そこに感動するのはこれまでの4話があったからです。ヨウとカナンだって人付き合いはそれなりに悩んでいる、というくだりも(もっと掘って!とは思うけど)よかったですね。パニックを起こすマリへの対処は医療的にあれでいいのか…ということも思わないではないけど、ヨハネが同じ行動を一緒にすることでガイドし、かつてのマリの善行とダイヤの報連相によって救われる、という複数のロジックが重ねられていたのでじゅうぶん腑に落ちた。とにかく鈴木愛奈の演技がいいので、今後もマリが物語の中心にいるといいな…。

『幻日のヨハネ』、もうさすがに「洗濯機(のような機械)を叩いて直す」という描写が出てきたのでファンタジーとしてのどうこうはもういいです!どうでも!という気持ちになったのだが、これはやはり1話の公衆電話描写が今の若者にとっては異世界なのではないかというところにつながるし、いやそもそも、魔法のような物事と電気や内燃機関ぽいものがロストテクノロジー的に脈略なく使われている社会、現代文明が滅んだあとの遠未来の話なのでは?なので物語はこれから「ヨハネたち9人は、かつてヌマヅを救ったという英雄"Aqours"のように再びヌマヅを救えるのか」という話になっていくのでは…とかちょっと期待する

『幻日のヨハネ』、それにしても、マリのような個人的な苦しみを救うのも実直な報連相の積み重ねなのだった…というダイヤさんが今回のエピソードに果たす役割、最高

『幻日のヨハネ』、まあ確かにあの声で喋るマリの父親登場にはテンションあがってしまうが、あんな大変な境遇の娘を一人残してなにやってんだという気持ちが先行したのであった

いや、ルビィやマリがいる以上は遠未来と考えるのは少し難があるか…じゃあなんなんだよ!(逆ギレ)

『幻日のヨハネ』、ファンタジー世界を構築することを放棄しているというか、ありえたかもしれない正史とは異なるAqours9人のあり方を語るうえでは、世界の細部はあんまり関係がない、というか、むしろ観る者が現実世界と混同するくらいにファンタジー性の存在感は薄いほうがよい、という作劇上の判断なのかもしれない。しかしこういうとき、「世界構築には力を割かない」という判断が物語の抽象性を高めうる演劇や実写映画なんかに比べると、背景を描かざるを得ないアニメの限界が見えるようにも思う。『輪るピングドラム』とか『ホーホケキョ隣の山田くん』みたいな抽象化表現に挑戦するのも、まあ、シリーズ的には難しかろうし。

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