“あえてこの表現を用いれば、「普通のドイツ人」は「絶えざるずらしとすりかえ」という知的不誠実さを不問に付し「物語化」という誘惑を受け入れたのであった。徐も指摘しているようにこれがさらに粗雑な形で行われたのが一九九〇年代半ば以降の日本であった。「新しい歴史教科書をつくる会」は当初は「自虐史観」から脱却し司馬遼太郎の小説のようなわくわくする教科書を目指すとしていた。そのような出汁に使われた司馬ですらファナティカルな軍国主義を批判していたのであり、現在では極めて良識的に映るほど、「普通の日本人」においては歴史の否認こそが大勢となってしまった。”
徐京植著 『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1528.html
新版 プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?
https://www.koyoshobo.co.jp/book/b311480.html