徐京植著 『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』
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“『過ぎ去ろうとしない過去』の三島憲一の解説をふまえ徐はこうまとめている。「「歴史家論争」における修正主義者側の主張は、七〇年代以来のリベラル左派的コンセンサスに対する反動の一形態であったといえよう。論争の勝敗をひとことで総括するのは困難だが、ある論者は、論争を通じてハーバーマス側が議論では優勢であったし知識層の支持も多かったが、メディアに現れない大衆の日常意識の中では修正主義者への支持が多かった、と述べている。修正主義者側の「絶えざるずらしとすりかえ」、そして「物語化」という戦略に対して、ハーバーマス側には有効な反撃策がなく、その結果、「規則にのっとった議論では勝ちながら、規則の選択で敗れている以上、全体として敗色濃厚だった」というのである」。”
新版 プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?
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“あえてこの表現を用いれば、「普通のドイツ人」は「絶えざるずらしとすりかえ」という知的不誠実さを不問に付し「物語化」という誘惑を受け入れたのであった。徐も指摘しているようにこれがさらに粗雑な形で行われたのが一九九〇年代半ば以降の日本であった。「新しい歴史教科書をつくる会」は当初は「自虐史観」から脱却し司馬遼太郎の小説のようなわくわくする教科書を目指すとしていた。そのような出汁に使われた司馬ですらファナティカルな軍国主義を批判していたのであり、現在では極めて良識的に映るほど、「普通の日本人」においては歴史の否認こそが大勢となってしまった。”
徐京植著 『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1528.html