“(前略)差別が構造化された社会のもとでは、個人がおこなう差別も慣習的かつ無意識的におこなわれる場合が多い。そのため、発言や行動をする立場からは、どのような言葉や行動が差別になるのか、前もって認識することができない。このような認識のずれがあるにもかかわらず、つねに正しい言葉や行動をとらなければならないということは当然、当人にはプレッシャーになるだろう。”
“だが、平等の実現のために耐えなければならない変化は、ほんとうに、現在の不平等よりもプレッシャーになり、居心地が悪いことなのだろうか。質問を変えてみよう。現在の不平等な社会は、私たちにとって快適なのだろうか?”
9章 みんなのための平等
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