今日はこれを読み返していた。

「差別はたいてい悪意のない人がする」著者インタビュー 無自覚に他人を踏みつけないためにできることbook.asahi.com/article/1453208

『差別はたいてい悪意のない人がする』hiroshimapeacemedia.jp/?p=1401

9章 みんなのための平等
 “差別をめぐる緊張には、「自分が差別する側でなければいいな」という強い欲望、ないしは希望が介在している。ほんとうに決断しなければならないのは、それにもかかわらず、世の中に存在する不平等と差別を直視する勇気を持っているかという問題である。”

 “差別や抑圧が、日常の中の無意識で偶発的な習慣、冗談、感情、用語の使用、固定観念などによって成り立つ場合が多いことを考えると、アイリス・ヤングの言葉通り、やたらに人々を批判するのは難しい。「それにもかかわらず」とヤングは、「無意識的で、意図しなかったことでも、抑圧に寄与する行動、態度に対して、人々と制度は責任を負わなければならない」と言っている。ここでの「責任」とは、自分が無意識的におこなった行動を省察し、習慣と態度を変えなければならない責任を指す。”

フォロー

 “(前略)差別が構造化された社会のもとでは、個人がおこなう差別も慣習的かつ無意識的におこなわれる場合が多い。そのため、発言や行動をする立場からは、どのような言葉や行動が差別になるのか、前もって認識することができない。このような認識のずれがあるにもかかわらず、つねに正しい言葉や行動をとらなければならないということは当然、当人にはプレッシャーになるだろう。”

 “だが、平等の実現のために耐えなければならない変化は、ほんとうに、現在の不平等よりもプレッシャーになり、居心地が悪いことなのだろうか。質問を変えてみよう。現在の不平等な社会は、私たちにとって快適なのだろうか?”

9章 みんなのための平等
otsukishoten.co.jp/book/b58588

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