“私はこの本の再読まで、四歳十ヶ月の自分が北朝鮮を脱出して、静岡県は掛川の在の父母の故郷の村に帰る道程ずっとはいていたゴム靴が「朝鮮」のオモニや子どもたちのはくゴムシンと呼ばれる靴だったことも知らなかった。読みおとしていたのである。”
“私は森崎の「敗戦以来ずっと、いつの日かは訪問するにふさわしい日本人になっていたいと、そのために生きた」という言葉に惹かれ、続く「どうころんでも他民族を食い物にしてしまう弱肉強食の日本社会の体質がわたしにも流れていると感じられた。わたしはそのような日本ではない日本が欲しかった。そうではない日本人になりたかったし、その核を自分の中に見つけたかった。」(略)森崎のこうした思いに導いた暮らしの細部の多くを見落としていたのだ。”
不器用な日々
日常を散歩する1
森崎和江『慶州は母の呼び声』解説
2006.12
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ha/0342.html