“ナチスの支配地域でドイツ人やその協力者たちがパルチザンによって攻撃されたように、満州国の移民団は「匪賊」(特性によって「土匪」や「共匪」と呼ばれることもあった)の襲来によってたびたび死傷者を出していた。だが、その背景もまた、戦後の回想録では言及されない。では、襲撃の背景とは何か。”
“周知のとおり、一九一〇年八月二二日調印、二九日公布の日本による朝鮮半島の植民地化である。韓国併合で故郷を追われた人びとは満州に移住し、そこで水田を開いた。日本は、多くの朝鮮人を日本人移民よりも劣悪な土地へと移民させた。彼らはときには中国人から日本帝国主義の尖兵だとされ、迫害を受けることもあった。また、大日本帝国に反抗する人びとは、中国共産党のゲリラと共に東北抗日聯軍を結成し、土地を追われたり、日本によって無理矢理故郷から満州に移住させられたりした朝鮮人たちの援助を借りて、開拓村を襲撃した。それを、日本は「匪賊」と呼んできたのである。” #読書
途中になっているこれも読み進めたい。
“パレスチナで起きていることを考えるとき、一九四八年五月一四日のイスラエル建国とパレスチナ人の追放と難民化、パレスチナ人がアラビア語で破局や災厄を意味する「ナクバ」と呼ぶ迫害があったこと、そして一九六七年のガザやヨルダン川西岸や東エルサレムの占領の歴史は、どちらの立場に立つにせよ、問題を理解する上での前提知識であるはずだが、いま報道で取り上げられることはあまりにも少ないように思う。”
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