じゅりあんさんは、「「社会は変わる。だって、今までずっと変わってきたから。変わらなかったことはないから」と言ってる」、と言ってた。

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これはすごく感心した。いいタイミングで使いたいフレーズだが、なかなか使えていない

後段では以下のように述べられる。
「人間の身体をある状況に投げ込まれたアクターとして捉え、そこでの試行錯誤を通してメディアとの関わりを捉え返す」
「身体をメディア環境のなかで「する」と「させられる」が溶け合った実践をなすアクターの一つとして捉え」

実は、彼の考察はやや半端なかたちで終わっている。「ほつれゆく」ことと「つむがれる」ことは、どのような関係にあるのか。

ただ、その後の彼がメディア状況に投げ込まれ/自らをメディアに投げ込み、そこで試行錯誤していたということ、これははっきりしている。彼はメディア状況を論じ、かつメディアの中で書いた。

「ほつれゆく」ことと「つむがれる」ことの関係を考えるならば、いわゆる「消えゆく媒介者」という概念が想起されるかもしれない。だが、それをここで持ち出すことは、ややためらわれる。たんに精確ではないからという以上に、出来事に妙に当てはまりすぎるからだ。

いずれにせよ、紡ぎかけた糸の続きがもう少し残っている。ずいぶん時間が経ってしまったが、もうひとがんばり。

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ちょうど1年というタイミングには間に合わなかったが、後は印刷を待つだけというところまではこぎつけた。

不在の彼のことを考え、不在の彼の代わりに考え、そうやって作業し、ずっと彼の不在と付き合ってきた、そういう1年だったように思う。だから「もう1年たったのか」という感覚はない。もちろん、毎日一刻一刻がそうだったわけではありませんが。

私の作業が遅いせいで進行が停滞し、月日が過ぎ去っていったので、そういう意味では、時間の過ぎるのが早かったと言えるかもしれない。

あ、でもじっさいのところ、彼の代わりに考えることは難しかった。ずいぶん自分のこだわりにとらわれてしまったし。ここまで来れたのは、一緒に仕事をしたみなさんのお力です。多謝。

たぶん今週の終わりころにブツが届く。

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