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トランプへの嫌気のあまりハリスさん素敵最高待ってました!とか言っちゃうのを見てると気楽でいいよなーと思う。
トランプが嫌だからハリスを支持する。けれどこいつはこいつでさあ…という懊悩ならばよく理解する。
ちょうど同じようなことが先の都知事選でもあったなと思った。
蓮舫さん素敵最高待ってました!なんてソーシャルメディアで口にしてた連中はお気楽でいいよなあと。
でも選挙って大衆迎合なものを絶対に排除できないからお気楽はお気楽である意味正しいのだ。

そんなトピックではなかったけれども、先週末に今回の都知事選について友人とあれこれ話す機会があった。
彼はフィジカリーに今回の選挙戦に参加し、彼の本来の支持がなんであれ、現職に対するカウンター候補であった蓮舫を支え、その中で手応えも感じたと言っていた。
それでもこういう負け方をするのかというある種の敗北感、そして結果が示してくる、いわば"喫緊の危機"を言葉にしていた。

そこで思ったこと。
日本国民は馬鹿だとか愚かしいとか言ってるだけの人間がどれだけ当事者意識の欠けたところで高みの見物をしてるに過ぎないかということだ。
なにかを「変える」にどうすべきかは、識者でも知識の豊富な人でも物見遊山的な間抜けた反省会とかやってる奴らじゃない。真に敗北感を味わった者から聞け。

支持するけれども、この人はこの人でっていうところ、当事者意識の欠けているってところ、同意します。外からの意見は有益で新たな気づきとなりますが、本質はそうかもしれないけど現実は違うみたいな視点の乖離を感じることがよくあります。

どれだけインフォメーションテクノロジーが発達しようともそれを使うのは人間で、人間である以上身体性はそこに常に伴うものなんです。そこを重要視しないものは無価値に等しい。

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