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「『歴史』は知性の化学が作製したもっとも危険な怪物である。(…)世界の現状では、『歴史』の誘惑に身をまかせる危険は、いつにもまして危険である」とヴァレリーが書いた「歴史について」(1927)は、その著作『現代世界の考察』(1931)所収である。邦訳は『ヴァレリー全集』12巻に入っているが、その増補版月報の12号(1978)には、柴田三千雄氏が「ヴァレリーと歴史」という小文を寄せている。

柴田氏はこう述べる。「おそらくヴァレリーにとっての関心事は、このような職業的な歴史家集団の方法論議に参加することではなく、当時のフランス国民の間にみられる歴史意識のあり方への警告だったであろう。したがって、彼の不信は『歴史』へではなく、むしろ、このような歴史意識をつちかった『歴史家』へ向けられていると見た方がよい」(p3)

柴田氏はここで、Annales誌に拠ったフェーヴルやブロックによる批判や反論を引き、彼らの史論がヴァレリーによる歴史家批判を十二分に意識していたものであったことに注意を促している。とりわけ、『歴史のための弁明』が序文で『現代生活の考察』を引用し、「これらの断罪には恐るべき魅力がある」と評したところに、いっそうの注意をはらうべきであろう。

ただその直後に、M・ブロックが「しかし、こうした結論に対して再度議論をするとすれば、より確実な根拠に基づいてそれをすべきであろう」(邦訳pXVII)として論陣を張るのに対し、柴田による論評では、ブロックによる弁明のなかに「ヴァレリーの不信のアイロニーに通ずるものを感ずるのである」と述べて、いわば歴史家たちによる反論から、詩人の高踏的な文明論を救い出そうとするかのごとくである。《彼が「歴史」それ自体を否定しているのではなく、むしろ、国民に正しい歴史意識を与えることができない「歴史家」を否定することによって、「歴史」を救おうとしているとすら思わせる》…。

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