ちょっと前の話題ですが、
ヴィレッジヴァンガードの経営不審について書かれた記事によってSNS上でそれぞれのヴィレバン論が展開されていました
https://toyokeizai.net/articles/-/822603?display=b
この話って
ちょうど90年代サブカルと2000年代初頭のインターネットの狭間で隆盛を誇った「ヴィレバン的なカルチャー」という特殊領域への言及だと個人的に感じてて、
それが出版やテレビ業界の経済的縮小や小劇場や短観上映の映画館などの現場エンタメ的なものがネットの台頭によって煽りを受けて(コンカフェ化していってる?)そのハブ的機能を有してたヴィレバン的な存在が地方ショッピングモール展開を経て大衆化した事とタイミング的にも相まって、"今のサブカル(かつてのアングラ性、マニア性が目減りしてるように感じる)"的なニュアンスに落ち着いていったように感じています
https://x.com/mogilongsleeper/status/1788852858743627885?s=46&t=j3gY_2YPZ1Vs4ikiex1bqw
https://x.com/mogilongsleeper/status/1788854644451783150?s=46&t=j3gY_2YPZ1Vs4ikiex1bqw
https://x.com/oganomushi/status/1788898667853996410?s=46&t=j3gY_2YPZ1Vs4ikiex1bqw
ある種、
70年代〜90年代サブカルのその果ての現在地として
ヴィレバンの今の雰囲気とかつてのサブカルに込められてたスノッブさやカウンター的なものは、そのジャンルの立ち位置で論じようとしたところで、
陰キャ陽キャで分ける必要が本来的にはないとされる程、嗜好属性は複雑化内面化しているし、この二項対立が本質的にも実用的にもそこまで意味を成さないとは感じますし、むしろ
オタク⇌ヤンキーの方程式も、もはやそのニュアンスが逆転しているまであると思うし、そういう意味ではあらゆるカルチャーの内壁はその選民思想含めて一旦解けて無くなってるとも言えるのではないでしょうか
思うに、
かつての70年代〜90年代のテレビ黄金期に耕され発酵し純正栽培されてたサブカルチャー的なものの最後の収穫物に、上記したラーメンズや鳥肌実などの露悪文化なども注入されてたであろう曖昧な半ネットサブカルみたいな感触のゾーンがあって、
それはかつてのヴィレバン的な領域の中心点でもあって、
これが2000年代のインターネットカルチャーの下地に敷かれて今現在のSNS文化に繋がっているのだと感じています
例えば
ちいかわとかって
本来ならその内容やストーリーのメタファー的な複雑さやコンセプチュアルな社会批評的な視点などを加味すると、
むしろかつての露悪カルチャー的な要素も孕まれてると言いますか、それを子供にも見せれるように昇華した作品性があって、それってバカボンとかみなしごハッチとかの70年代辺りのテレビアニメーション的な大衆に紛れ込まさせてるアングラ(をトレースした作品)みたいなバランスでかつての「ヴィレバン性」にフィットしてるようなコンテンツだと思います
(それは、おぱんちゅうさぎや地元最高!とかも)
https://x.com/chikapon291/status/1773916387360293112?s=46&t=j3gY_2YPZ1Vs4ikiex1bqw
ですが、
現状はそのちいかわ的なコンテンツの持つアングラ性ではなく、むしろそれと清濁されてるポップ性の方が目立ってて、ヴィレバン的な磁場と化学反応を起こす事なく、ややハック気味に喰われてしまってる状態なのだと思います
ちいかわがヴィレバンに置かれてるというより、
ヴィレバンがちいかわのセレクトショップ化してる雰囲気がある
その上で、ネットカルチャーは基本的にそれを踏まえた上で包括的にどちらでも成立するような二極化を同時並行で進めてゆくようなバランスを携えたヒット作がほとんどだと思うので、ざっくりと端的に言うとちいかわ的なネット発のコンテンツは、かつてのラーメンズのように「ヴィレバンというハブを経由しなくてもアングラファン層にもポップファン層にも各受け手に届く」ようになってるのだと感じています
(というかもっと単純に、その隅々にまでSNSのプラットフォームが敷かれただけとも言えます)
ヴィレバンに対するネット上での一連のネガティブな話題はそういった、「ツールとしてのサブカルという機能が解けた事によって引き起こった現象」だとも思います
しかし、
個人的にはそういうカルチャーが好きなので、ヴィレバンという伝統芸能と化してほしいなとも思ったりします
https://bunkaonline.jp/archives/5696