言ってしまえば、幼児性愛的なもの自体が個人感情の中でのエロスであるのは当然として、
だけども、
「それを嫌悪、拒絶、非難すること」も
等しく個人感情の中でのエロスが起因しているのだと感じています。
(それらの善し悪しは別。それらを包括している文化や関係者の思想なども別。というか、今は置いておく。それよりもっと土台の話。)
母性、父性、親族的な価値観それ自体もエロスである、という集団的認識が抜け落ちがちではないかなと思います。
イメージとしてクリーンで脱臭された家族という組織の血縁という繋がり方には生殖が必要不可欠です。それは正しさというよりも、もっと直接的な本能によって支えられている動物の生臭さ。
なので、そういった子孫愛的なものの方が、反応の起因となった時にそれが暴走した場合、自覚し防ぎにくいような気もします。潜在的過ぎるから。
あと、これはより漠然とした個人感覚なのですが、そういった集団的子孫愛(という名の排他的なエロス)によって、性行為の目的化、娯楽化やフェティッシュの典型パターン、などが生まれているようにも感じています。抑圧によって発露が限定化されてるような気もしています。