https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3415688.html
“昨年12月に発生した米兵による少女誘拐暴行事件で、わいせつ誘拐、不同意性交の罪に問われた米空軍兵長の被告(25)=嘉手納基地所属=の第2回公判で、被害少女が法廷で証人尋問を受けたことに、専門家から疑問の声が上がっている。被害者側は検察側の提案だったとするが、専門家からは「法廷と別室を映像と音声でつなぐ『ビデオリンク方式』でやるべきだった」との意見が根強い。未成年の性犯罪被害者が法廷で直接証言するのは異例。
「すみません、もう一度お願いします」。23日、那覇地裁で開かれた公判で、少女は何度もこう口にした。慎重かつ丁寧に答えようとする姿勢がうかがえた一方、性被害の具体的な行為に関する質問では、言葉に詰まり、息を深く吸い込んだり呼吸が乱れたりした。
公判では、傍聴席や被告から少女が見えないよう、ついたてが設置された。午前10時に始まった検察側の主尋問は、休みなく約2時間続いた。2度の休廷を挟み、少女への尋問が終わったのは午後5時半ごろだった。”
書きながら、所詮は私もいち加害者ポジショナリティに過ぎないのに、何をわかったようなことを抜け抜けと書き殴るのか、何様のつもりか、厚かましいと思っています。
常に気まずい。常にいたたまれない。常に罪悪感がある。常に自分が信用できない。常に私が琉球・沖縄県を消費して利用して「何かしているつもり」になりたいだけなのではないかと疑う。
言えば言うだけ「おまゆう」ですよ。でも加害ポジショナリティにいるんですよ、私は死ぬまで。私は琉球・沖縄県ルーツではないし、なることもないから。
自己嫌悪と罪悪感と気まずさくらいはせめて真っ向から受けとめて、自分を疑い続けて、それでヤマトのマジョリティとして、ヤマトのマジョリティに言いたいです。
無視しないで。知らんぷりしないで。日本兵/ヤマトでの報道が少なく、知る機会が限られるのなら、私ができる範囲で沖縄島2紙の記事のシェアをします。
少なくとも戦後約80年のこの間で、更には「“本土”復帰」後に、明確に是正された不均衡は多くないです。「何も変わっていない」と沖縄島2紙に語るものは多い。
この80,000筆ほどの署名数の違いに、いまは打ちのめされています。
可能なようでしたら、呼びかけ文だけでも読めたら読んでください。可能なら、署名をおねがいします。
12/23の沖縄タイムスは通常テレビ欄に該当する紙面に沖縄戦(1945年)からの米軍属による性暴力事件の年表を掲載したそうです。
それだけでも2,000件を越える可能性があります。日本兵も含めたら、誰にも話せなかったものたちの被害を含めたらどうなるでしょうか。
生後9ヶ月の乳児への、58歳のものへの、年齢も性別も問わず、とてつもない性加害を、その危険性を、米軍基地とともに琉球・沖縄県に負わせ続けているのは誰ですか?日本/ヤマトとアメリカでしょう?
「足りない」ですか。
ほぼ同時期に動いた署名の80,000筆ほどの「差」を埋めることに、これらの被害では「足りない」のですか?
そんなことがあるわけないでしょう。
数の問題ではない。性加害も、暴力も、人権侵害も数の問題ではない。どの「事件」にも被害者が存在する、物理的に危害を加えられ、意思や尊厳や健康を損なわされたものがいる。ひと/ものは「数」ではない。それは署名でも同様だとは思います。
それでもどうしようもない気持ちになります。
日本/ヤマトのマジョリティの多くが、琉球・沖縄県への加害者である立場性に向き合わないからではないのか?と。
負担だけを押し付け侵略の責任も取らず、擬似的な平和の恩恵だけを得ていることを「よし」としているからではないのか?と。