固定された投稿

「あなたはプレイヤーでしょ、諦めんなよ(修造)」という宮下修造の言葉、心に刻もう。

白ワインにシナモン入れてみたけど、いい感じかも。

『南の虹のルーシー』見よ。世界名作劇場はだいたい見たけど、「ルーシー」は見てなかった気がする。

そっか、エルスワース・ケリーってロバート・インディアナと交際していたのか。

批評はさまざまなレヴェルで作品を組み立て直す作業だから、それはそれはたいへんなのです。

批評は価値判断ではない。これは断固として言いたい。

書くことの孤独とどう付き合っていくか。

制作と執筆について話す機会ってなかなかないから、あのとき話題をふればよかったな。ちょうど批評家と作家が集まっていたし。

年末に「あなたのクリエイティヴィティを料理で喩えると?」というの問いに「パン生地をこねている状態」と答えたんだけど、それがここ数日頭の片隅にずっとある。ある作家は「もんじゃ焼き」と答えていたけど、書き手と作り手でどこが共通していて、どこでずれていくのか気になる。

「木下佳通代、沢居曜子、辰野登恵子 70年代——不毛なもの、その先に」の図録を献本いただいた。買おうかなと思っていたので新年早々うれぴーです。

年末モードになってしまって原稿に戻れない。

宮下さん、回復したほうでなにより。

「六歳のとき両親から聞かされた。ぼくの頭のなかには、小さな黒い〈宝石〉がいて、ぼくになることを学んでいるのだと。」(グレッグ・イーガン「ぼくになることを」)

ゴンザレス=トレスも初期はいろいろやっているんだけど、のちの展開をいたるとこに予感させる。とくに気になるのは、このパズルの作品で、こうした試みはマイク・ケリーと同じく、オイヴィント・ファールストレームの再評価と並行していると思う。
felixgonzalez-torresfoundation

いろいろカタログ見ているんだけど、ウォルター・デ・マリア、こんなのつくってのか。

Walter De Maria, Cross, 1965-66 / Museum Piece, 1966 / Star, 1972

高嶋さんが言っているけど、レゾネを見るの重要ですよ。とりあえず全作品をみる。単純に作品の変遷を眺めるのが楽しいということもあるんだけど、とくにスタイルが決まりきってない、いろいろ模索している初期作品がいいんだよね。物になり損ねた半端なものがその作家のその後を方向づけたり、たんに何にもならなかったりする。こういうの見てると、勇気づけられるし、楽しいんだよね。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。