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藤田直哉氏、大丈夫か。

「オタク差別」について、言い換えると、こういうことなんですよ。属性ではないから、差別として制度的に扱い救済するのが現状では困難である、ということなんです。何故属性ではないのか、制度的に扱えないのかは、定義がはっきりしていないからです。

「差別」認定が力を持つのは、法的・制度的な裏支えがあるからです。しかし、現状、「オタク」が受ける苦痛を「差別」と呼んでも、法的・制度的なバックグラウンドがなく、それを実現させるのは長い道なので、「救済」を得られる可能性や、便益が少ないと思うんですよ。

なぜ制度的に扱えないのか、というと、じゃあたとえば「オタク差別」があるから「オタクに補助金を年一万円出しましょう」「精神医療やSTSを無料で受けられるようにしましょう」「雇用義務を作りましょう」などとなった場合、政府は何を根拠に「オタク」か「オタクでないか」を判断し、支援するのか

自分が、政府側の立場で考えてみてほしいんですが。多分、できないんですよ。定義がないんですから。自称すれば誰でもなれてしまうし。戸籍とか、医療制度とか保険制度など、公的な制度による認定とか登録とかもないじゃないですか。精神疾患や、民俗・国籍などはそれが出来るんですよ。
x.com/naoya_fujita/status/1869

「オタク差別」がある、と言うことで、他の属性による「差別」と同じような便益を得ることは現時点ではできない、できるようにするためには、制度や法を整備しなくてはならない、そのためには定義をしなくてはならない。それから初めて、「救済」の便益が得られます。

もちろん、「差別」扱いすることによる、倫理的な機能はあると思います。「差別=悪いこと=やめよう」と思わせる機能は否定しないので、「オタク差別はある」と言い続けることを否定しようとは思わないです。「排除、いじめ、加害」を辞めさせたいので「差別」だと言いたくなる気持ちはわかります

「差別じゃない」というのは「してもいい」ことを意味はしないです。排除や暴力やいじめなど、それ自体が問題なので、それそのものを問題化していった方がいいし、「差別問題」とは違う問題だと認識した方が、当人たちが「救われる」近道だと、ぼくは思います。

「オタク」の定義が、「人格類型」(その人の本質のようなものに関係しているのか)なのか、単なる選択可能な「趣味」なのかすらも、はっきりしていないわけで。「趣味」なんだったら、「オタク差別」があるとなった途端、『ワンピース』読んでるから俺オタク、みたいな人が溢れるのは目に見えます

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