「オタク差別」がある、と言うことで、他の属性による「差別」と同じような便益を得ることは現時点ではできない、できるようにするためには、制度や法を整備しなくてはならない、そのためには定義をしなくてはならない。それから初めて、「救済」の便益が得られます。
もちろん、「差別」扱いすることによる、倫理的な機能はあると思います。「差別=悪いこと=やめよう」と思わせる機能は否定しないので、「オタク差別はある」と言い続けることを否定しようとは思わないです。「排除、いじめ、加害」を辞めさせたいので「差別」だと言いたくなる気持ちはわかります
「差別じゃない」というのは「してもいい」ことを意味はしないです。排除や暴力やいじめなど、それ自体が問題なので、それそのものを問題化していった方がいいし、「差別問題」とは違う問題だと認識した方が、当人たちが「救われる」近道だと、ぼくは思います。
「オタク」の定義が、「人格類型」(その人の本質のようなものに関係しているのか)なのか、単なる選択可能な「趣味」なのかすらも、はっきりしていないわけで。「趣味」なんだったら、「オタク差別」があるとなった途端、『ワンピース』読んでるから俺オタク、みたいな人が溢れるのは目に見えます