アフガニスタンの女性たちの絶望と、「これから生まれる命」の全否定にもなるこの決定について考える。「いま生きる俺たち」だけのことを考えた究極で最悪の政治。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20241205-OYT1T50013/
権力者が「俺たちによる俺たちだけのための俺たちの」政治なり、商売なり、人間関係なりを突き詰めると持続可能性も再生産性もいずれゼロになる。
そこで女性の権利を訴えるだけでなく、その権力者による「俺たちの〜」の解体も必要で、それは言葉にすれば「家父長制解体」ということになるのだけど、家父長制を体現してその欲望に沿って生きている人たちにその言葉は(言葉では)届かないし、痛くもかゆくもない。
家父長制を体現して、その欲望に沿って行われる行為のひとつひとつを日常生活から、目の前で起きることから無力化させていくことも大事だし、自分に(も)出来ることなのではないかなと思う。
それには練習が必要で、そういうことも考えていきたいし、「俺たちの〜」を求めない、その中ではやっていけない「俺」もたくさんいるはずなので(理解ある「俺」のポーズとしてではなく)、そこも考えていきたい。
歴史とそれに付随する思想史や社会運動史みたいなのを見てると一億総中流社会の幻想を生きてきた自分には階級闘争だけが馴染みもピンと来るものもなくて(かつてはあったのだと思うけど)、やはり明治とともにそれまでの歴史と断絶されて幻想が作られていったように、あの時代もそれまでの歴史(第二次世界大戦前後)を断絶して、新たな幻想が作られていったのだと思う。
今はまだ内心の自由は奪われていない日本でできることはきっとたくさんある。