アフガニスタンの女性たちの絶望と、「これから生まれる命」の全否定にもなるこの決定について考える。「いま生きる俺たち」だけのことを考えた究極で最悪の政治。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20241205-OYT1T50013/
その中で、資本主義が変容していったように(日本は独自の形で発展・変容したと思うけど)、階級というものも変容している。多分それは宇野常寛氏がデイヴィッド・グッドハートの言葉を借りて言うところの「Anywhere」(どこでもやって行ける人、グローバルエリート)と、「Somewhere」(ここでしかやって行けない人、庶民)と大きくは二分されるものになるのだろう(実際には「ここでしかやっていけない権力者」「どこでもやっていける貧乏人」みたいなものも含まれるだろうからグラデーションはあるとして)。
かつての夢と希望が詰まったインターネットやITが今や国家を凌駕するものになり、指先一つで世界とつながれる希望は、指先一つで人を殺せるものとなってしまった。それもまた、権力者(この場合はイーロン・マスクやサム・アルトマン)の「俺たちの〜」の現れであると思う。そしてユーザーは使うことで無償でデータを与え続けより肥えさせることになる。
新しい階級闘争と「俺たちの〜」の解体。遠くの虐殺も目の前の不均衡や不条理も解決していくためにこれが重要になってくるのかなと思う。
今はまだ内心の自由は奪われていない日本でできることはきっとたくさんある。