ナタリーのインタビューと少し違う。
以下引用
〈どこまでもゆけ〉って、目にも止まらないスピードで逃げ切る。あらゆるしがらみとか目の前に横たわっている後ろ暗いものだとか、苛烈な現状だとか、そういうものからとにかく逃げ切る。それは、自分にとってはネガティブな表現ではない感覚なんですよね。「逃げる」と「背負う」は別に矛盾しない。自分は目の前の「頑張らなきゃクリアできない困難」から逃げるためにめちゃくちゃ頑張ってきた人間なので。逃げることにより自分のあり方を獲得していき、背負うものも獲得していく。そうやって生きていくことは可能だと思います。
引用ここまで
まずは振り切って振り捨てて目にも止まらないスピードで日本からアメリカから逃げ切って欲しいよ、私はこのMVが撮られた琉球、沖縄県に。
逃がさないように「日本人」だと縛り付け、「ピュアでのんびりした“沖縄県民”とゆったりとした時間の流れる癒しの島」と和人の都合にいいように押し付け貪って、土地を奪って返さず更に切り崩し、事故も事件も騒音も基地由来の汚染もオーバーツーリズムの問題も押し付けて知らんぷりしている私たちから!!!!!!!!
ねぇ本当にどういうつもりで琉球でMV撮ることにしたの?なんでそこで「逃げ切る」なんて酷いことを言えるの?どういうつもりなの?
うん、まさに「逃げ切る」感じがした。
もしこの方が想定していた以上のゆさぶりを少なくないウチナーンチュに与えたとすれば、表現者としてはきっと「すばらしい」。
背負うものを選べると思ってそうな植民者感や、逃げ切れると(本気で)思っているとことか、現代の日本人がうまく描かれていたような気がする。
沖縄に対する意識を感じ取ってしまうことが例え「考えすぎ」と言われようと、自分の中にないものは出てくるはずもなく、無意識でもあるものは何かしらのはずみでポロリするものです。文字でも映像でも、表現者が持っている偏見や差別心は絶対に隠せない。
逃げ切りたいのはこっちだよ。
さよーなら、もう二度と!ってな。 [参照]