去年の今頃、ある雑誌に私のメッセージが小さく載った。
杉田を更迭させるためのデモに連帯のメッセージを頼まれ、その時の私なりの気持ちをある方に代読してもらい雑誌へと繋がる。
そのデモは大手新聞社に多く取り上げられたにも関わらず、琉球人からのメッセージに触れた新聞は確認できなかった。まさに日本様の新聞。これこそ政府だけの責任にするなという所以でもある。国民も政府も互いに責任を擦り付け時に庇い合う共犯者でしかない。
怒りと諦めが混在したようなメッセージを代読してくれた方のツイートがたまたま目に入る。彼は最近何かの取材を受け民族差別・植民地主義について触れてくれたようだ。あの時の連帯は今も続いていたんだな。
後にも先にも琉球民族を多様性として快く受け入れてくれたのはこのデモだけでした。
他のデモに「琉球民族差別」も入れてくださいとお願いした際、主催団体からは徹底的に無視され、挙句に「自分でやれ」的な言葉をいただきました。さすが支配者様。
メッセージ依頼と代読をしてくれた方のように人間として共に生きますか。
それとも沖縄を差別しながら臆面もなく「反差別」を掲げる植民者として生きますか。
応答はなくとも日本人へ問い続ける。
「あらゆる差別に反対」や「全ての差別に反対」は意思の表明にすぎない。実行できているかは別の問題。
団体として表明したのなら実態が伴っているか監視されるのは当然で、批判や指摘は真摯に受け止める以外ない。
小さなプライドパレードがコールの内容をツイートしていたが、そこにはいくつかの属性が抜け落ちていた。指摘された団体はすぐさま謝罪と訂正をし、新たにツイートし直していた。
誰にだってウッカリはあるし(沖縄の場合差別を認識されていないことが大きいが)「あらゆる差別に反対」したいという誠実な態度だったと思う。どんな団体もこうあってほしい。
以前私が「民族差別」を入れてくださいとお願いしてもガン無視した団体は「多様性」や「交差性」を謳っていた。共通するメンバー多数で行われるはずだったトランスマーチは不祥事により中止となったらしいが、一連の流れを見てなんとなく答え合わせができたような気持ち。
琉球民族を快く受け入れる団体と無視する団体の違いは政党が絡んでいるかどうかな気がする。日本の政党は琉球人を認める気が無いので。
差別がわからない人に「あらゆる差別」は反対できません。
全ての人が今も認知できずにいる差別がこの社会にはあって、全ての差別に反対と宣言するのならその事をまず肝に銘じたい。 [参照]