福島の事情について自分よりも知らなさそうな大学生にマウントをとって絡みたかっただけだと思いますが、ただ、経産省の補助金事業の建て付けが、そういう絡みを呼ぶ構造になっているという理解で良いのでは、と思います。
こういう被害者が生まれている被災地域では、それだけ人間心理も人間関係も複雑になっています。
一方向をプッシュすれば、一方向から反感が出る。この組織から金が出ているのなら、信用できない、こちらと絡んでいるならば信用できる。そう言う話は、福島のみならずどこででもある話です。
そういうことにまるっきり無頓着に一年といった短い期間で制作物を作って公表し、それを大々的に表彰したりすれば、どこかで思わぬ反応が出てくるのは当たり前です。
一年では、地元の事情を事前リサーチすることは時間的に不可能でしょう。せいぜい表層的な上っ面の事情を知るだけで。
研究でも被災地についての研究はかなり手続きに神経質になるのに、表現物ではましてやです。そういうことをまったく念頭に置かず、「福島を舞台に映画を!(期間1年で)」とやってしまう企画そのものがまずい、という結論でいいのではと思います。
またこの先も類似の炎上は起こると思います。
巻き込まれる邪気のない若い方達には気の毒だと思いますが、それを呼び込む構造になっているので、いくら経産省や復興庁、福島県がきれいなポスターで呼び込んだとしても、近づかない方がいいです。
それでも、本気で取り組にたいというなら、その手の補助金は使わないで、もう少ししっかりリサーチできる形で取り組まれることをお勧めします。
補助金でも、復興宣伝用ではなく、表現作品を対象とした複数年度のまたがる助成金が民間含めてありますから、競争率は高くともそちらを使った方がいいです。
福島県の補助金などは、露骨に復興宣伝以外は使えないので、この補助金を作品に使うのは、表現者としては自殺行為だと思います。(広告宣伝の練習にはなるのかもしれませんが)