人間という生物の認知構造の原理として、物語によってしか世界認識ができないことを考えれば、個々の物語が必ず含む公共性を繋ぎ合わせることによってしか「公共」は作り得ないという理解をしています。
日本人の「ファクト」信仰はなんなんだろう、と思います。たったひとつのファクトによってすべてが裁断できるという権威主義的快感が「ファクト」信仰へ向かわせるのだろうと思いますが、昨今、人文系の人でもそう言う傾向が強いことには驚きを覚えています。
「社会学者で立教大特任教授の津富宏さんによると、米国では「物語」化により市民の力を結集し、社会を変えようとする「コミュニティー・オーガナイジング」(住民組織化)の手法が確立されている。ゴミ処理や上下水道の維持といった生活に密着した問題で、ひとりひとりの「物語」が実は公共的なものだという気付きを通じて人々を組織化する。互いの関係を築くために「ストーリー・テリング」が意識的に用いられ、公民教育にも取り込まれているという。」
人を動かす「ストーリー」の力 「涙」から立ち上がり、SNSで増幅 兵庫知事選
https://www.asahi.com/articles/DA3S16104115.html
人間の内面的真実を描き出せるのは物語だけである一方、それを悪用することはもちろん可能で、それが頻繁に行われることは事実であったとしても、そのことが個別の物語を否定し、「ファクト」を対置させることによって代わり得るものではない、ということだと思っています。