座右の銘ではないですが、「物語」を考えるときに、いつも私が思い出すのは、先年ノーベル文学賞を受賞したペーター・ハントケの以下の文章です。
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現在の戦争の中でメディアが、あらゆる可能なこと及び不可能なことに対しても、「物語」(「レシ」)、「物語る」(「ラコンテ」「テル」……)という言葉を、それが争い難い真実の証明であるかのように、前面に出すようになって以来、人類史上の最も高貴な言葉の一つである「物語」というこの言葉が、何かいやなもの、長いあいだ使えないものになあってしまっていた。--けれども、いま、ここに、もう一つ、最後の、別の物語、難民や爆撃された人たちと共にある「共感」の物語を提示したい。昔、一人の子供が、ある他の人の苦しみについての物語を聴いた。そのあとでその子は、つと脇へ退き、空気を抱きしめた。
(『空爆化のユーゴスラビアで』元吉瑞枝訳)
人間の内面的真実を描き出せるのは物語だけである一方、それを悪用することはもちろん可能で、それが頻繁に行われることは事実であったとしても、そのことが個別の物語を否定し、「ファクト」を対置させることによって代わり得るものではない、ということだと思っています。