このトーンの言葉が、政治の主流になったのなら、福島復興のけばけばしい「世界に冠たる」とか「世界の双葉」なども陳腐化して、使われなくなるでしょうか。そう願います。
よく言うんですが、原発事故前の双葉郡がどんなだったか考えてみてください。原発がなければ、貧しくて出稼ぎなしには暮らせなかった地域です。そこが原発ができて、一息ついて暮らせるようになった。特に観光地があるわけでない、歴史的遺産があるわけでない、大学もない、都市もない、人のいい田舎のおっちゃんおばちゃんがいるばかり。
そういう地域が、原発事故が起きたからと言って、突然「世界の双葉」になるわけないじゃないですか。
だいたい、そもそも、みんなが取り戻したかったのは「世界の双葉」なんでしょうか。違うはずです。
「世界の双葉」とか言い出す人の方がどうかしているんです。
経産省の人が罪悪感から双葉を復興させたくて言い出したのかもしれませんが、そんなの、自己満足です。
地元の人がほんとにそんなこと求めているの、聞いたことがありますか。
そんな世迷いごと、本気にしているのは、誉め殺しで正気を失っている県政方面のおじさんたちくらいですよ。
私は、安倍さんのスピーチ、日本語の品位を落としていくので、大嫌いでした。
日本語を用いる物書きとしてゆるしがたい低俗さであった、と思います。