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このインタビュー記事もそうなのですが、最近の政治や陰謀論の流れで、「ナラティブ」という言葉が乱用され過ぎているように思います。

兵庫県知事戦の場合は、ナラティブというよりは「プロパガンダ」という方が正確であるように思いますし、ほかの事例でも、戦略的に行なったものは、「プロパガンダ」や「広報戦略」で十分だと思います。

なぜ「物語」や「ストーリー」ではなく、「ナラティブ」を使いたがるのか、趣旨が読み取れない時もあります。

この記事でも、「ストーリー」「物語」「ナラティブ」がおそらくほとんど同じ意味として使われています。

こうした用語の定義をきっちりしないで使うと、議論が混乱していくだけなので、まずきちんとなぜ自分が「ナラティブ」を使うのかを整理してから使った方がいいのではないでしょうか。

「それが斎藤氏の当選に結びついたか断定はできないが、ナラティブ(物語)の使い方が巧みなのはSNSで支持を集める候補者に共通する。」

識者がみた斎藤知事のSNS戦略 物語がつなげるフィルターバブル
asahi.com/articles/ASSCM13KSSC

学術的な分野では見かけたけれども、もともと日本語では一般的ではない「ナラティブ」という用語をカタカナでそのまま使うのは、なぜなんだろう、とずっと思っています。

@ryoko_ando ぼくはナラティブ(ナラティヴ)と物語(ストーリー)の違いを、
ナラティブ(ナラティヴ):ひとり語り、自分のことを語る物語
物語(ストーリー):自分も含め社会を語る物語
と使い分けようとしてます。

なんとなくナラティブっていうとかっこいいと思っている人が多いのかもしれませんね。ナラティブ注意!

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