福島の風評被害がどうとかいう話も、最初から一貫して同じ流れだったわけではなく、いくつもの出来事が節目となって、それが大きな社会的反応を引き起こし、変化が起き、といったいくつものプロセスを経ています。
これだけ長引くことになった福島の風評被害の最大の引き金となったは、2011年当時の福島県知事による「安全宣言」の失敗でした。
「安全宣言」をした直後に、検査した米から基準値超えがたくさん出てしまったために、行政に対する信頼も、福島の生産者に対する信頼も壊滅的になってしまいました。
生産者本人たちもまだ、本当に安全な食品を生産できているか疑心暗鬼の時に、拙速に「安全宣言」をしたがために、検査への信頼も壊滅的となり、その後のコメの全量全袋検査も必要となってしまいました。
本来は、こういうことこそ、リス込みの失敗事例として記憶され教訓とされなくてはならないはずなのですが、ほとんどの方は忘れていると思います。
風評については、早い話が、福島県庁のリスクコミュニケーションのおける大失態が、事態をここまでこじれさせたという側面があります。
県庁が被害者ポジションを取ったがために、県外の人は、以降指摘しにくくなって触れないようにしていると思いますが、ただ、そもそもは県庁が不甲斐ないから、ここまで大変になったのだ、ということは、もう少し知られてもいいのでは、と思います。