起きるか起きないかわからない南海トラフ地震の注意情報の時にはあんなにも騒然となったのに、これだけの豪雨被害がすでに出ている能登半島の時には、平然と総裁選の議論を続けるのは、首都圏に機能が集中し過ぎている弊害だと思います。

地方で起きる事柄についての関心の低さと、首都圏がかかわることでは些事でも大騒ぎをする(たかだか5cmの降雪でも災害特番を組む)のアンバランスさは、日本社会全体が内向きになっている様子がよくわかるように思います。

2011年の原発事故のときのこともよく覚えているのですが、当時のTwitter上で、福島への風当たりが強くなったのは、その年の7月に東京で福島から出荷した牛肉から基準値を超えるセシウムが検出されてからでした。

7月までは、少なくともTwitter上では、そんなにも福島をディスる声は多くはなく、むしろ、同情や応援の声が多かったと記憶しています。

それが、7月の牛肉に基準値超えが報じられると一変し、特に論争的な話題を書いているのでなくとも、普通に罵声が飛んでくるようになりました。

その極端な変化ぶりに驚いたので、よく記憶しています。

13年後のいまは、当時よりもさらに首都圏に人口が集中し、地方は過疎化し、みな内向きになっているので一層そうだろうと思います。

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福島の風評被害がどうとかいう話も、最初から一貫して同じ流れだったわけではなく、いくつもの出来事が節目となって、それが大きな社会的反応を引き起こし、変化が起き、といったいくつものプロセスを経ています。

これだけ長引くことになった福島の風評被害の最大の引き金となったは、2011年当時の福島県知事による「安全宣言」の失敗でした。

「安全宣言」をした直後に、検査した米から基準値超えがたくさん出てしまったために、行政に対する信頼も、福島の生産者に対する信頼も壊滅的になってしまいました。

生産者本人たちもまだ、本当に安全な食品を生産できているか疑心暗鬼の時に、拙速に「安全宣言」をしたがために、検査への信頼も壊滅的となり、その後のコメの全量全袋検査も必要となってしまいました。

本来は、こういうことこそ、リス込みの失敗事例として記憶され教訓とされなくてはならないはずなのですが、ほとんどの方は忘れていると思います。

風評については、早い話が、福島県庁のリスクコミュニケーションのおける大失態が、事態をここまでこじれさせたという側面があります。

県庁が被害者ポジションを取ったがために、県外の人は、以降指摘しにくくなって触れないようにしていると思いますが、ただ、そもそもは県庁が不甲斐ないから、ここまで大変になったのだ、ということは、もう少し知られてもいいのでは、と思います。

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