日経の原発についてのインタビュー記事、双葉町長の伊沢さんが回答されていますが、かなり思い切ったことをおっしゃっていて、驚きました。
原子力に協力しても豊かになれなかった、と言い切られています。
確かに原発ができた後の世代からは、出稼ぎ経験者が激減します。そういう恩恵はあったのでしょうが、原子炉建設後、時間の経過とともに減らされていく交付金へ依存症のような状態となり、次々と原子炉の増設を求めることになり、それが災いして、福島第一原発では4つの事故炉が並ぶことになってしまったわけです。
「交付金の使途は限定的で使い勝手は悪かった。ハコモノにしか使えず、維持費用が必要になり結局、財政を圧迫した。豊かになるはずが、財政が厳しくなり町は財政破綻の一歩手前までいった」
「原子力推進の町と言われても仕方ないが、原子力に協力した自治体が豊かになれなかったという1つのモデルだ。増設を試みたことへの批判は甘んじて受ける。地方振興策としての交付金が適切だったか検証も必要だ」
核のごみ処理どう進める? 現状と課題を識者に聞く
原発 誰が動かす 識者に聞く
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA094UO0Z00C24A7000000/
ばら撒きの交付金、補助金が地域を衰退させるという意味が昔はよくわかりませんでしたが、実際に自分が制度を使ってみるとよくわかるようになりました。
福島の復興がこれだけおかしくなっている背景には、大量にばら撒かれた補助金が、イベントにしか使えないような規定になっていた結果、365日毎日被災地のどこかでイベントが行われているような、言葉どおり、毎日がお祭り状態が10年近くに渡って続いたことによる影響も大きいはずです。
そんなことにヒューマンリソースを割けば、どんな復興だってうまくいくはずがないです。
制度設計が壊滅的にまずいんです。