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日経の原発についてのインタビュー記事、双葉町長の伊沢さんが回答されていますが、かなり思い切ったことをおっしゃっていて、驚きました。

原子力に協力しても豊かになれなかった、と言い切られています。

確かに原発ができた後の世代からは、出稼ぎ経験者が激減します。そういう恩恵はあったのでしょうが、原子炉建設後、時間の経過とともに減らされていく交付金へ依存症のような状態となり、次々と原子炉の増設を求めることになり、それが災いして、福島第一原発では4つの事故炉が並ぶことになってしまったわけです。

 「交付金の使途は限定的で使い勝手は悪かった。ハコモノにしか使えず、維持費用が必要になり結局、財政を圧迫した。豊かになるはずが、財政が厳しくなり町は財政破綻の一歩手前までいった」

 「原子力推進の町と言われても仕方ないが、原子力に協力した自治体が豊かになれなかったという1つのモデルだ。増設を試みたことへの批判は甘んじて受ける。地方振興策としての交付金が適切だったか検証も必要だ」

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nikkei.com/article/DGXZQOUA094

ばら撒きの交付金、補助金が地域を衰退させるという意味が昔はよくわかりませんでしたが、実際に自分が制度を使ってみるとよくわかるようになりました。

福島の復興がこれだけおかしくなっている背景には、大量にばら撒かれた補助金が、イベントにしか使えないような規定になっていた結果、365日毎日被災地のどこかでイベントが行われているような、言葉どおり、毎日がお祭り状態が10年近くに渡って続いたことによる影響も大きいはずです。

そんなことにヒューマンリソースを割けば、どんな復興だってうまくいくはずがないです。

制度設計が壊滅的にまずいんです。

もちろん、東京五輪のために「復興アピール」が最大の取り組まなくてはならない事業だと認識された結果、あらゆる復興事業がすべてが広告代理店化してしまった、という大方針の大失敗もありますが。

以前から言っていますが、「復興の起爆剤」という言葉が踊るようになったら、もうアウトです。

能登ではまだ使われていないと思いますが、この言葉が出てきたら、第二次世界大戦中の「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「遂げよ聖戦 興せよ東亜」「聖戦だ 己れ殺して 国生かせ」「石油の一滴、血の一滴」状態なのだと思ってください。

社会的インフラがメタメタになっていて再構築が必要なところに、起爆剤なんか使ったら、さらに破壊が進むだけで、復活するはずがないのは、考えるまでもなく明らかなのですから。

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