堀田善衛『定家明月記私抄』『定家明月記私抄続篇』読了。
フォロイーさんのご紹介。美文を書こうという力みがなくて、文章が涼やか。冷たい水のよう。
藤原定家は平安末期・鎌倉初期の中流貴族、宮廷歌人で、新古今和歌集や小倉百人一首を編纂した人。「明月記」は定家の日記で、『定家明月記私抄』は、堀田善衛が「明月記」をどう読んだかの随筆。
戦時中の青年だった筆者が明月記の一文と出逢うところから始まっており、およそ800年前の動乱の時代が20世紀までぐっと引き寄せられてて、導入が上手いです。
同時代の他の日記も引き合いに出しながら、当時の中流貴族の生活や和歌というものの“感じ”が、立体的に分かる気がきます。
とにかく定家は金策に四苦八苦してます。また、明月記から伝わる後鳥羽帝は元気が有り余っており、定家は苦虫を噛み潰しています。
著者は、当時の宮廷貴族を、“生活者集団としては一種のフィクシオン的存在である”としており、和歌というものも、実情から切り離されたフィクシオンで人工の極であり超現実である、としています。
そういう解説を踏まえて定家の歌を見ると、時代の動乱も、定家の生活苦も、定家の性格の険も、なるほど歌には表れていないなあと思ったりするのでした。
#読書
@rinzuaka 堀田善衛、読んだことがなかったので、ご紹介いただいて良かったです。
後鳥羽上皇が定家の歌に激怒した直接の理由を誰も理解できず、後世の人間が「景気が悪かったからだろう」と推し量っているのが、面白かったです。
最後のほうの、小倉百人一首が鎌倉の武士の依頼でまとめられたというくだりには、文化のプレイヤーも貴族から武士に移っていく様を表しているようで、百人一首に今までにない感慨を抱くようになりました。
定家の父、俊成の臨終に際し、日記の漢文に平仮名が混じっている箇所には胸を突かれました。己の母語で、己の感情を読み書きできることのありがたさ、というものを感じました。