昨日の打ち上げで「やりがい搾取」という言葉も思考停止ワードになってるよね、という話をして。
「やりがい搾取」がある現場や状況を訴えたときに、「それはやりがい搾取ではないのか」って言うことで終わってしまってその先に行けないことない?という。
そのやりがいが誰にどのように搾取されているのか?
その構造はどのように生まれたのか?
議論しないとその先に行けない入り口であるはずの言葉が出口になってしまう。
一言でなにか言った風、分かった風になってしまう言葉は危険だなあと。
それもきっと楽を取ってしまう性根みたいなのがあるんだろうなあと。
そもそも「搾取」という言葉が安易に使われすぎると山本先生に言われて、そうかーと思ったとこもある。

たまにこうして、日常で何気なく使っている言葉を分解して捉え直すの大事だなと思った。

そういう言葉の図鑑作りたいねーまで話が飛んだ笑

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ですです、その視点から作った(編集した)本が『消費と労働の文化社会学』だったりします。

そうなんですね!未読だったので読んでみます!
昨日はプラ解イベントだったのですが、プラ解とふれしゃか、とかプラ解と〇〇とか、他の本と共通するトピックを読み比べて踏み込む、というのもやりたいねーっていう話になって、来年でもご一緒できる機会を作れたらと思います!

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