その上で、『魔界転生』という小説の評価を、局所的なプロットの弱さや、キャラクターの魅力の軽減によって貶めるべきではない。
映画版が優っている理由として氏が挙げている「老中・松平伊豆守を早くも暗殺した上に、ガラシャの色香で将軍・家綱を籠絡。魔界衆は天下を取ってしまう」「炎に包まれる江戸城天守閣で幕府の侍たちを片っ端から斬りまくり」といった部分は、明らかに歴史の改変・捏造がされている箇所である。
その結果、伝奇時代小説のパイオニアである風太郎作品の戒めをあっさりと破壊しつくし、客が喜べば何でもやるといった類の時代を一つ前に巻き戻した作品になってしまった。
個人としては、そこが逆に残念だ。
だが「のらくろ」のレビューに「キャラが弱い」などと本気の感想が書かれない時代に、風太郎作品が古典としてではなく、現役の作品として取り扱われるのは、まだまだ風太郎作品が「オワコン」(終わったコンテンツ)として認識されていない証左だと思う。
だが、改めて言う。
このような作品を、映画版を持ち上げるためだけに貶めるべきではない。