「Saltburn」批評的なというかトマト点数的なものでいうとバリー・コーガンがもうちょい全開になってないほうがもっと上を狙えたような気はするが、それはそれでsubtleで上品なものを好む映画スノッブ根性なのかもしれないからなんともいいがたいのだった。
プロミシング・ヤング・ウーマンも私は同じこと思ったんだけど、なんか物語的カタルシスのほうが作中人物より優先されるタイプの作り手なのかもって。プロミシング〜は物語的には面白いけど私は個人的にすげー嫌いだったので二度と見ない枠です。ソルトバーンはまた見てもよし。 #映画
ソルトバーン
同性愛表象としてはわりと古風な、っていうかまあリプリーなので90 年代でも十分作れるくらいの感じであって同性愛を「物語的においしいもの=メインギミック」としてガンガンに消費していくというタイプなので、いわゆる当事者性とかエンパワメントとかそういう要素はない、または限りなく薄いかとは思います。
ただ「同性愛を物語的においしいものとして消費する」ことと用語としての「クイアベイティング」って違うもので、後者はなんかそれっぽい要素あるよ!そう見えるでしょ?!っていいながらじつはそれっぽいだけでそうでないっていう手法(Sherlockとかグオメ1期とかのアレ)のはずなので、ソルトバーンは作品だけでいうと性行為のexplicit表現もあるんでベイトとは言わないかとは思う。
「同性愛を物語的においしいものとして消費」しているだけで現実の同性愛へのアドボカシーとかぜんぜんないよねっていう批判ならいやそれはそう…ごくごく伝統的な消費…とは思う。 #映画