普通の日本人が福田村事件ならば受け入れられる、というメンタリティはアレなんだろうな、敢えて差別的な言葉を使いますが、「部落民であれ日本人が間違って殺されたのは反省すべき。そのためにはあったことを受け止めるべき」というロジックだと仮定して。
しかしながらこれは朝鮮人、中国人を殺したのは無かった事にする、直視しない、というダブルスタンダードで。
ていうか、向き合わない、というだけで、なんというかな、「日本人ではない中国人朝鮮人は殺してもいいじゃん別に、なにウルセェ事言ってんの?」というメンタリティの現れなんじゃないかなと。

今回の漂白剤入りの水を提供した事件も、被害を受けたのが日本人ならば許せないけれど、韓国人ならば致し方無し、というメンタリティと通底すると思うんですよね。

@upasampada どうせ「日本人が殺された」事件じゃないと「感情移入」できないんだろうなあーと冷めた目でみております。

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@upasampada んー、でも福田村事件に関心を持てる層はかなりの割合で「ちゃんとわかってる人たち」なんじゃないかなとも思いますね。どの層にリーチしたい映画なんだろう?

@pica_pica 私の理解では”ナチスはいい事もしたのか”本とおなじなんじゃないかと。
本当は”日帝はいいこともしたのか”と言いたいけれどそういうと炎上しちゃうので、敢えてそういうタイトルにしてると。

ストレートに朝鮮人が殺されまくってる映画は企画の段階から通らないし、予算もつかないので、敢えて日本人が被害の主体にしてるんでは、という。
私の中ではそういう理解です。
本来のヘイトクライムへの理解を薄めてしまってる悪手だと思いますが、今の日本ではこれが精いっぱいなのかな、とも。

@upasampada ああ、それは感じますね。マジョリティ様のご機嫌を損ねないように極力遠回しに「諫言」をするような態度。

@pica_pica アリバイみたいなあれですかね。
「明確な言論統制は無かったけれど圧力はあった中で、俺はここまで訴えたぞ!頑張ったんだからな!」みたいな。
私からすれば卑怯な感じにも映りますが、まあ、だからっつってやらないよりはまだマシだろうし…とも思ってしまうし。

というわけで森達也監督の映画を複雑な思いで見つめています。
映画館には見に行かないけれど、配信されたら見てもいいかな、みたいな。

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