『梟』の話(問題点についてもすこし)
シネマンドレイクさんの『梟』の感想で「やや障がい者を便利に利用するプロット」というのは確かにそうだな、と思った部分でした。これは「宣伝」の問題でもありそうだな、とわたしは思いました。
というのも、「盲目」という言葉をミスリード的に使って宣伝しているため、この宣伝によってギョンスの「実は見える」ということが物語のフックとして機能してしまっているんではないかと思うんですよね。
この『梟』という作品の肝は、そのフックよりも権力批判にあるとわたしは感じたので、最初からギョンスの「見え方」を提示していても、物語の魅力はそれほど損なわれなかったのでは?と思う。
ギョンスが「見えること」を隠していた理由も、「盲人が見えることを嫌がる」という台詞でロービジョンであることによって差別されてきたから、というのが読み取れるのでその部分は当事者表象を全く考えていないわけではないんじゃないかな、とも。
ただやっぱりこういう宣伝をするということは「実は見える」をフックにしたかったんだろうし、そう考えると問題はあるよね、ということを思いました。