今週の「虎に翼」 

「虎に翼」花岡悟役・岩田剛典インタビュー「花岡は自分の思いだけで突き進むのではなくて、ちゃんと相手の気持ちを受け入れる度量がある人間」(ステラnet、2024/5/16)
steranet.jp/articles/-/3114

いろいろ考えて何も言えなくなってしまう花岡に、個人的に感情移入するところがある。

〈それは、いわゆる“男らしさ”かもしれませんが、やや自己完結型だなと、僕自身は感じます〉

そうなんだよね……そして、その、(勝手に)自己完結して人生を決めてしまってそれでいいのかよと問うてくれた轟はやっぱり好きだなと思う。

今週の「虎に翼」 

「虎に翼」轟太一役・戸塚純貴インタビュー「轟の中では絶対的な、“男だから・女だから”を超えた、人としての正義がある」(ステラnet、2024/5/17)
steranet.jp/articles/-/3120

このひとは花岡ももちろん好きなんだけど、寅子もよねも、奈津子にも幸せになってほしいと思えるひとなんだよね。そして、好きなことを好きと言える。ひととして厚い。

火曜日の回で「花岡さんも佐賀に行ってしまったし」と言う寅子によねが「……そうだったのか」と返すのだけど、そのよねを見る轟の顔に、ひとの機微を見て取る轟のこまやかさが見てとれて、なんかもう感動に近い気持ちを覚えた。

その轟が「お国のために質素倹約!」をやるという、あれは見事なキャラクター造形でありストーリー展開だと思った。

ところで轟、久保田を「久保田先輩」と呼ぶんだね。

今週の「虎に翼」 

花岡を呼び出すよねと轟のシーン、カメラがゆれてるのも、うわあ……となったとこだった。

後半はなんといっても優三さん。木曜の回を見終えての心中の第一声は「優三さん、どうか死なないでくれ」だった。

吉田さんのツイートによれば「僕じゃだめですか」のシーンの優三さんは、シナリオでは腹を下す設定にしなかったそうだけど、腹下しがあってよかったと思う。
x.com/yorikoko/status/17908840

でも……優三さんはあの結婚でさびしくならないのだろうかと、心配になってしまった。

優三さんが、寅子に対して性的欲求をいだいているかどうかは置いといたとしても、求めているものが(本当は)違うひとがなまじ自分の配偶者として近くにいるというのは、けっこうしんどいと思うのだけど。いや、(本当は)違うかどうかもまだわからないか。杞憂であってくれ。

で、寅子は、花岡をどう思っていたんだろう? ここはもうちょっと考えたい。「寅子がアロマンティックであるという読みを許容する形で造形されている」というとらえ方をしても(私がそのとらえ方をちゃんとできていないのかもしれないけど)、よくわからなかった。もうちょっと考えたい。

今週の「虎に翼」 

「寅子と優三の結婚に関して、アロマンティックに対するマイクロアグレッション的反応を散見してげんなりした」というようなことを書いている方がいた。
私のこの↑投稿も、そういうものになってしまっていたら、改めないといけないなと反省した。

私は寅子に恋愛感情をもってほしいとは全然思ってないし、優三さんがただちに不幸だとも全然思ってない。ふたりの間にあるものが恋愛感情以外であっても、逃げ恥にたとえられていたような「契約」行為であっても、ふたりがよければそれでいいではないかと思っている。

今週寅子が「社会的信頼度、地位を上げる手段として、私は結婚がしたいんです」と言葉にしたことも、快哉を叫びたいぐらいよかったし。

ただ、現時点で寅子にはない相手への恋愛感情が、優三にはあるということは描かれていて、それは寅子と求めるものが違う(いい悪いではなく「違う」)ととらえることができる。そこにはギャップがあるのではないかと、想像することができる。
そのギャップが、生活を継続するうえで埋めがたいものにならないように、つらいものにならないようにと心配している。

今週の「虎に翼」 

優三は「見返りを求めたりしない」と言っているけど、それは私にびっしりしみついた従来の観念から考えると「強がり」に類するもののように思えてしまう。そのあとに続く「今までどおり書生の優三さんとして接してくれてかまわないから」まで聞くと。

いや、わからんよ。そういう恋愛感情が「ない」なんて誰にも言えない。仮に求めるもの(求める距離の取り方といってもいいかもしれない)にギャップがあったとしても、優三がただちに不幸だとは全く思わない。

そして、この結婚で今後優三がどういう思いをしたとしても、寅子が何かを反省したり誰かを不幸にしたというような思いを抱く必要はない。
寅子が何をどう思うかは当然寅子個人の自由だけど、その周囲(モニターを挟んだこっち側)にいるひとりとしてはそう思う。

恋愛感情をもちあって結婚したふたりだって、関係を継続するためには諸般の調整が必要で、それは恋愛感情以外の結びつきで結婚したふたりだって、というか人間関係全般について同じことだろう。

そういう意味での調整努力は寅子にも必要になるかもしれないが、それは寅子が優三に対する恋愛感情をもっていないことや、「普通ではない」結婚を選んだことに責があるものではない。

先週の「虎に翼」(しつこいけど) 

先週の「燕は戻ってこない」、契約に合意したあとで基が「(理紀に対して)いろいろ禁止事項をつけないとな」と(ウキウキめに)言っていたのを見て、私は「おい、それは契約合意前に提示して合意を得るべき事項だろうが」と憤った。

契約合意後の条件後出し、それは最悪なやつ。ましてや今回のそれは、理紀の身体や生活や人生を大きく拘束するものなのだから。1000万円+αという金額で他者という存在のすべてを「買える」と思えてしまうその傲慢さとかそういう部分がこのドラマの肝なのだろうけど。

同様に、先週の「虎に翼」では、“契約”に合意したあとになって優三が「実は……」と切り出した。ただ優三は「言うつもりはなかった(けど感情の発露として意図せず伝えてしまった)」のであって、実際「見返りを求めない」としている。合意した“契約”の履行において変更はない、ということだ。その点が基とは異なる。

ただ、いくら優三が“契約”に影響しないと言っているとはいえ、聞いてしまった寅子にとっては聞かなかったのとまったく同じというわけにはいかない。事前に聞いていたら“契約”に合意しなかったかもしれない。

私も優三さん好きだから、寅子ももちろん好きなんだけど、優三さんに肩入れしてる自分を自覚している。

とにかくふたりがよければそれでいいし、優三さんしなないでほしい(モデルとなる人物がいたとして、そのひとの行く末とかは今は知りたくない)

今日5/21(火)の「虎に翼」 

まだ消化できてないんだけど、とりあえずずっこけた。結局恋に落ちるんかーーーい。優三さんいいひとだから、そりゃあ……という思いはあるけど、でもここまで引っ張ったのが「ひとが恋に落ちるのは突然です」に収束するというのはちょっと納得が……。

このあとのストーリーをなんとなく予想していて、その予想が当たっているとしたら人生のジェットコースターが下り局面にさしかかりつつある寅子の「結婚も恋も手に入れた寅子」という状態なのかもしれないけど、それだとしたらなおのこといやなんだよな。想像でいやがっててもしょうがないけど。

そうすると、結局、花岡への寅子の思いは何だったんだろう。……いや、ひととひとの話だから相手が違えば感情は違うし、ひとりひとりのセクシャリティも変化する。

でもこの寅子の変化は、日本社会における恋愛至上主義、恋愛があって当たり前的思い込みを強化するのではないか? 従来の朝ドラ的「女の幸せ」観を強化しないか???

今日5/21(火)の「虎に翼」 

あとその前の優三さんの「すべてが正しい人間はいないから」「とらちゃんだって僕と社会的地位のために結婚したろ?」はものすごくひかっかったぞ。

その「正しい」って、昨日の回の依頼者の「女が生きていくためには悪知恵が必要だってこと」の「悪」と反対としての「正」ってこと? 寅子の結婚を「悪知恵」に含めることになってないか?

15分単回で解釈するのは拙速だけど、ひとまずメモっとく。

× ひかっかった
○ ひっかかった

今日5/21(火)の「虎に翼」 

番組公式のツイートを見て、追い撃ちをかけられた気持ちになった。

x.com/asadora_nhk/status/17928

〈ついに思いを通じ合わせた寅子と優三💘〉って何なんだ。

「ついに」って何なんだ。なんで既定のゴールみたいに扱うんだ。

だったら最初から、このドラマにおいてそこが「既定のゴール」である、そういうストーリーだと明示しとけばよかったじゃん。

川辺のシーンも、そのあとの展開も、それならそれで飲み込んで消化できただろうに。

これが朝ドラの限界? それともこのあと何か展開がある? でももうここまできたら何かもくそもないよなあ……。

それにやっぱ「すべてが正しい人間はいないから」「とらちゃんだって僕と社会的地位のために結婚したろ?」はなかった。その解釈自体「はあ?」だけど、よりによってそれを優三が言うのなしでしょ……。

この写真をほほえましく見ていた頃に戻りたい……(轟・よね・寅子のオフショット)

instagram.com/p/C7Il7XDMnh_/?i

5/21(火)の「虎に翼」 

BT
ほんとそう。今までの寅子なら、「すべてが正しい人間はいないから」「とらちゃんだって僕と社会的地位のために結婚したろ?」という優三に「はて?」と言うんじゃない? 「え、その文脈だと、この結婚は『正しくない』と言ってるように聞こえるけど?」って言うとこじゃない??? 余裕がない状態だからこそ、一言一句に神経とがらせるとこじゃない????? ってなるよね……

5/22(水)の「虎に翼」 

直道の出征は、「日本で今これ見てるひと、このまま自民党に投票してたら近い将来またこれになりますけど、どういう思いで今これ見てますか」ということが気になっちゃって……。

直道の「おれにはわかる。日本はこの戦争に勝って、子どもたちにとってもっともっといい国になっていくって」というのは、2024年の今からすれば(また)当たらないことがわかっているわけだけど、1943年6月の花江、はる、寅子、直言の表情から当時もすでにそれを笑って流せる状況ではなかったことがわかる(もっとも、仮に戦況がよかったとしても、「直道がこういうということは……」となってたかもしれないけど)。

そして、「日本が戦争に勝つ」が外れたことによって引き起こされた影響が今に至るまでずっと続いているように、「子どもたちにとってもっともっといい国になっていく」が外れたこと(その結果在る社会)も2024年の今にとって目の前の現実で、つれえな……となった。

直道、無事に帰ってきてほしい。

穂高先生については、明日の回を見てから咀嚼したい。

先週の「虎に翼」(花岡と寅子) 

BT
私も、寅子が花岡にどういう感情をもっていたのか、結局わからないままでいる。

花岡の寅子に対する恋愛感情をどうとらえていたかも不明瞭なのだけど、寅子は少なくとも花岡に対して恋愛感情を向けてはいなかったし、プロポーズも望んではいなかった、と理解していた。

なんなら、プロポーズされることを避けんがために長い沈黙を破って「じゃあお元気で」と言った、とまで考えた。

でもじゃあ、花岡が婚約したと知ったときのあのショックさは何なんだろう? ととても混乱した。

職も結婚も手に入れていくひと(花岡)への羨望?

なんとなく「自分のもの」だと思っていた「席」を奪われたように感じた?

花岡に対して積極的な恋愛感情はもっていなかったけど、花岡に好かれていることは好ましく思っていた?(それがなくなるとは思っていなかった?)

その後の展開でそれどころではなくなってしまったが、この点は今も不可解なままでいる。シナリオ読んだらわかるのかな……。

今日の「虎に翼」 

私は「虎に翼」を心ゆくまで自分で咀嚼したいので、それまではひとの感想をなるべく見ないようにしている。Twitterでのそれは特に見ないようにしている。

なので、寅子の結婚に関して多く寄せられていたという恋愛伴侶規範的言及を見ていない。事後にも見てない。

今日の回を見て、そういう言及をしていたひとはさぞかし溜飲を下げたのではなかろうか……と思って心底げんなりした。これは私の想像だから、実際はそんなことないかもしれないし、実際はそうでもなければそれに越したことはない。

今日の寅子の「謝ることしかできない」は、翼をもがれ心に蓋をして生きてきたひとは「はて」を出す力を失い、「謝ることしかできない」と自己完結するのではなく「私に何ができるか、できたか」と優三に尋ねようとする力も奪われている、そういう姿を示したものだと、とりあえず受け取った(まだ1回見ただけだからあとで変わるかもしれないけど)。

社会的地位を求めて結婚に至ったはずの寅子が、その結婚はかつて寅子が「婚姻した女性が無能力者と扱われるなんておかしいでしょう」「結婚は罠だ」と憤っていた結婚とは別のものになるはずだったのに、男(社会)に絡め取られてその立場に寅子自身がなるに至った“完成図”だと思った。

今日の「虎に翼」 

端的に言って、「謝ることしかできない」といって頭を下げる寅子は卑屈に見えた。

自分の夢であり使命を諦め、新聞も読まず心に蓋をして生きる生活は、寅子自身に寅子の「価値」を極小化して感じさせるに至り、ここまでひとを卑屈にさせるのだと思った(これは結婚して妻になったひとがすなわち卑屈になるという意味ではない)。

もちろん、その背景には戦争があるわけだけど。

でも、2024年の日本で恋愛伴侶規範的見地に立ち「虎に翼」を見ているひとは、「やはり、非・恋愛伴侶規範的結婚は『悪』だったのだ」「寅子は改心したのだ」と溜飲を下げているのではなかろうか。

というか、あのドラマをつくっている側(脚本家個人というより総体としての)は、そういう溜飲の下げ方をさせたいのではないのだろうか、あの「社会的地位を求めての結婚」は1週間でここに着地するからこそ朝ドラ「でも」許されたのではないか、というような邪推すらしてしまった。

こっちは「はて?」じゃなくて「はあ?」だよ。

今日の「虎に翼」 

優三も、「働く者がみる『こういうパートナーがいたらいいな』という夢」みたいな存在になってしまったように感じた。まあもちろん戦争が悪いのだけど。これで帰ってこなかったら許さんぞ。

ただ1点印象に残ったのは、優三が、自分の道を追い求めて一生懸命生きる寅子に魅力を感じていたというような言及があったこと。

寅子が優三に対して恋愛感情を抱いていなかったからこそ寅子は法曹の道を邁進し、それが寅子の魅力を増大させていた。その寅子がいざ自分と結婚し、自分に恋愛感情を抱くに至り、子も生んだ。これは一見、「双方求めるものが一致して幸せになりましたとさ」に見える。ところが、そうなった寅子には、かつての寅子にあったはずの輝きが薄れてしまっているのだ。

もちろんその代わりに、ふたりの間に芽生えたものはあるだろう。今となっては、恋愛感情以外にもふたりを結ぶものがあるだろう。何より優三は、寅子がそうなるに至ったのは自分と結婚し子どもを生んだことに起因しているわかっているだろうし、そのことで(社会的地位を求めて合意に至った結婚からの)恋愛伴侶規範的見地に立つ結婚が破綻したりはしないだろう。

けどあの一言は、恋愛伴侶規範的見地に立つ結婚に打ち込まれた楔にも見えた。

今日の「虎に翼」 

もう戦争が終わってしまった。戦争が、登場人物を死に至らしめる都合のいい装置みたいに思えてしまった。
これではまるで、戦争が、2024年の日本でこれを見ているマジョリティに「かわいそう」と涙させる装置じゃんか……。

こうなってくると、これまで生活に静かに登場し続けてきた戦争の影の静かさの意味が変わってくるように思えてしまうな……。

弁護士をやめたあとの寅子は、寅子のストーリーにとって深く掘り下げるべきではないところだったということだろうか。作品はあと4カ月あるわけだが、これから寅子が再びやりたいことをやる人生に進んでいくその過程を描くほうに重点が置かれるということだろうか。

朝鮮の植民地支配も、結局あのまま深くは描かれずに終わるということなのか。直言の会社は、軍需で潤っていた一企業で終わるのか。……。

直道、帰ってきてほしかったー。

BT 「虎に翼」の戦争描写 

ひと昔前のドラマのように、ひとの生活に戦争がある日突然どかんと殴り込んでくるようなのはリアルじゃない、というような意味合いで、「虎に翼」の世界に少しずつ増えていく戦争の描写が「うまい」と言われていて、私もそう思っていた。

でも、そうやってひとの戦争を少しずつ侵食していく戦争は、紙についたしみ、あるいは、小さく燃えた跡のようなものなのだろうと思っていた。

そうしているうちにあちこちにしみができ燃えて穴があいて、紙を燃やし尽くす。そうなったときに、そのかつて小さかったしみや燃え跡の罪の重さは描写されるのだと思っていた。

でも作中では重要な出来事が起こる以外の時間はとばされ、静かに戦争は終わってしまった。まるで台風が近づいて去っていったみたいに、何が起こっているのか(よく知らないひとには)わからないままに、抗えなかった自然災害みたいに過ぎ去って終わってしまった。

この描写を、2024年の日本で放送するのは、社会に与える悪影響が大きいのではと懸念する。

フォロー

BT 「虎に翼」の戦争描写 

「政治的」なるものから距離をとってきれいな上澄みを消費しようとするひとがマジョリティの社会で、「戦争反対」が当たり前の市民の声ではなくなってしまった社会で、戦争当事者に近づこうとしている政治の罪を漂白するような描写は、しないでほしかった。

弁護士を辞めてからの寅子は、本当に静かになってしまった。食事もろくにとれず、声を出す体力も失われているのだろうけれど、それだけあの「理不尽」のダメージは大きかったのだろうととらえている。
もう心に蓋をして社会から目を遠ざけている寅子には、戦争に怒る力はないのかもしれない。その寅子を主人公とした作品で、ああいう戦争描写になるのはあり得るだろう。

でも、放送するのは2024年だから。「戦争反対」すら声高だの左翼だの意味ないだの言われるようになってしまった2024年なんだ。……。

¡ ¡ Web ¡ 1 ¡ 3 ¡ 9

BT 「虎に翼」の戦争描写 

というか、2024年のマジョリティが「そう」だからこういう自然災害的描写にしてる可能性ある? だとしたらちょっと……そうじゃないであってほしい。

見るたびに「あーーーほんと戦争やだ戦争クソ」と思う「カーネーション」。あれが2011年〜2012年放送か……。

先週の「虎に翼」を見返して 

「私」という人間の話を「続けて」と聞いてきてくれたと思っていた穂高先生が、子どもができたとわかった途端に人間を「家庭を守る妻」「子どもの母」の器として扱う描写の「なんじゃそりゃ」感はすごかった。

かつては「続けて」と聞いていた寅子の声を遮り「おなかの赤ん坊を驚かせるもの」扱いしたのが、ほんときつかった。

もともと穂高は、いつか石を穿つための雨だれとしか思っていなかったということなのか。ちょっとおもしろい、印象的な雨だれ、ぐらいだったのか。

そう考えると、穂高が優三のことを覚えていなかったことの見え方も変わってくるような気がする。
男性生徒は数多いて、とりたてて目立つような人物でもなく試験に合格もしなかった人物を、穂高は覚えていなかった。

女性生徒は人数も少なく、そのなかでも飛び抜けて印象的な寅子のことは覚えていた。
でも、寅子がもし「辞めていった仲間たち」の側だったら、やっぱり覚えていなかったのだろうか。直言とはるの子どもだから、そういう意味では覚えていたかもしれないけど、そうでもなければ覚えていなかったのだろうか。

先週の「虎に翼」を見返して 

妊娠のことを勝手に雲野に話され、男性によって「そういうことなら……」「こうなることはわかっていたよ」などと進む道を勝手に決められるのもしんどかった。

穂高は、女性の人生を勝手に左右し、法律で結婚した女性を無能力者扱いする男性社会に生きる男性なんだ。
だから、ひとの天命などというものを語り、ひとの人生を「次世代」の「活躍」の前の「犠牲」扱いすることができる。穂高ですら、なのか、穂高だから、なのか。

「君の犠牲は、決してむだにはならない」

「こうなることがわかっていて、私を女子部に誘ったのですか? 私たちに、世の中を変える力があると信じてくださったのではないのですか?」

「私は、今、私の話をしてるんです」

先週の「虎に翼」を見返して 

対して、よねと寅子の決別は、ひととひとのやりとりだ……と思った。
ふたりとも唇が震えていた。お互いに自分の人生をかけて、自分自身に真剣をつきつけるように生きてきたひとたちの真摯な(でも不器用な)個対個のやりとりだ……と思った。

直道、帰ってきてほしかったーー。あの明るさに戻ってきてほしかった。

そういえば、直言は「はるさん」、直道は「花江ちゃん」、優三は「トラちゃん」で、みんな名前で呼ぶんだな、と、直道と優三の出征シーンを見ながら思った。

昨日と今日の「虎に翼」(未消化)(だいぶネガティブ) 

戦地でお守りをひとにもたせる優三のやさしさを見ると、なおのこと、直言の「優三くんかあ」「花岡くんがいいなあと思ってた」に対する怒りが止まらない……そう、私は昨日の直言の懺悔に激怒しているのであった……。

私は直言が好きだったんだよ。女性として生きる者の学ぶ道をつぶさない、それどころか応援してくれる(実効力はともかく)、愛らしさもあり、子どもを内でも外でもほめ、妻を「はるさん」と呼ぶ直言が好きだった。直道の明るさのルーツを思わせる直言の抜けたところも好ましく思っていた。優三が「ある種の理想の夫」ならば、直言は「ある種の理想の父」だと思っていた。

それは持てる特権者であったからこその振る舞いであったところも多分にあるだろう。そして、家族を養う力を失った家父長というものが失う自尊心は大きいのだろう。優三の死を隠し、「おれはだめな男だ」「役立たずでだめでろくでもない」と言って死に向かう。あの卑屈さも、「家父長の末路」として見ることもできるけども、私は寅子の土下座に共通する残念さを覚えた。ほかならぬ直言だから。

昨日と今日の「虎に翼」(未消化)(だいぶネガティブ) 

これまでの直言を考えれば、家族に囲まれ家で穏やかな死を迎えるというのは「よかったね」と思えたはずだ。あの懺悔がなかったら。

あの懺悔を見て聞いてしまっては、「懺悔してすっきりしてすっと死ぬの何なの」と思ってしまう。

怒涛の懺悔で優三の死を隠されていたことに対する直言の申し訳なさが希釈されているのも納得がいかなかった。

寅子が怒れないのは、事実を直視できないとか(さまざまな理由により)怒る気力がないとかそういうこともあるのだろうけど、きれいな「懺悔するひととそれを赦す人」になっているのも納得いかなかった(花江の「許さなくてもいいのよ」があったとはいえ)。

そもそも、この懺悔をコメディタッチでくるむというのは何だったのだろう。全然消化できてない。いや、コメディはさむのはいくらでもすればいい。でも怒るべきところを軽く交わされたような、すかされた感がある。

昨日と今日の「虎に翼」(未消化)(だいぶネガティブ) 

先週から自分のテンションがどんどん落ちているのを感じる。
今日の「焼き鳥を包んだ新聞から日本国憲法」は本来なら熱々のエピソードのはずなのにな……。

お守りを届けてくれたひとの描写も、いかにもなにおわせで私は好きじゃなかった。
昨日の「実は優三は……」があった翌日にこれやるのしんどいじゃん。きっと「そうじゃない」ってわかっているけど見てしまう、そういう演出でひとをひっぱるようなドラマじゃない、誠実だと思えていたところが好きだったのに。

あとNHKプラス、字幕でネタバレするのやめてくれ。画面では後ろ姿で誰かわからないことになっているのに、字幕に「(名前)○○○○」と出すからそれで先にわかってしまう。「(男性)」でいいじゃないか。先回りしなくたっていいじゃないか。この手の先回り、ほかの番組でもよく見るんだ。

今週の「虎に翼」 

今週、何度となくはさみこまれてきた優三の出征シーン、笑いからの泣きからの笑いの表情は、本当にすばらしいと思った。先週金曜日の放送も、あのシーンを何度も見返した。

最後に見た優三の記憶を何度も何度も思い出して、そしてそのあとに新しい優三の記憶が続くことを願っていただろうに(というか私も願っていた)。

寅子が河原のあの優三を思い出して泣くことができたということは、もう、あの笑い泣き笑いの優三を繰り返し思い起こすことはない(少なくともドラマには出てこない)ということなのかな

今日5/30(木)の「虎に翼」 

BT
憲法との接触のくだりは、私も違和感が大きかった。

あの描写だと、憲法が寅子にどう作用しているのかわからないし、いずれにしても憲法自体への反応とは思えない。

次週予告では、条文を読み上げていた声が入っていた。あれが第1回の内容をかぶせているのでなければ、明日、寅子が憲法に改めて向き合うシーンがあるということなのか。川辺で泣いたあと、憲法を読み上げるシーンがあるということなのか。という仮説もあるので、ここはちょっと保留にする。

けどここ、すごい重要な、待ってましたのポイントだっただけに、ちょっと気持ちがね……

BT 今日5/31(金)の「虎に翼」 

女性として生きているだけで結婚し子を生むすることが当たり前の「義務」であるかのようにあつかわれそれが親孝行なのだといわれ、あるいは身を売って親孝行せよと強制され、学ぶ門戸は狭く、話し方しかり服装しかり男性社会の規範から少しでも外れようものならやじをとばされ試験では落とされ、結婚したら無能力者として扱われ、裁判官になる道もないという法律、そして戦争で家族を奪われ家財や収入を奪われ命を奪われる——

みたいな抑圧からの解放を、第1話の日本国憲法第14条の読み上げは感じさせた。そして事実、そういう抑圧を、少なくとも「法律」までの抑圧を、この作品は描いてきた(不足もあったとはいえ)。そして寅子はその抑圧のもとで法曹の道も奪われ心は折れた。

そこからの再起のスイッチが日本国憲法第14条なのだろうと思っていた。
でも昨日今日の描き方だと、第14条は優三さんの「好きなように生きてほしい」という(実質遺言になってしまった)願いを思い出すスイッチになったように見える。
それは最終的に同じ結果を生み出すことになるのかもしれないけど、全然違うんだ。

今日5/31(金)の「虎に翼」 

それは悪いことじゃないし、優三の死は大きい出来事だし、寅子にもちろん好きなように生きてほしい。後悔のないように生きてほしい。その示唆をほかならぬ優三が置いていったというのも、優三という人物の好ましさにつながる。

でも、第1話で期待したものに比べると、話がだいぶコンパクトになったなという感想をもっている。半径1メートルの話みたいな。

私は個人的に子ども(未成年者)の学びの機会に対する思い入れがあるので、直明が勉強できるようになるのはうれしい。「柱にならなきゃ」なんて子どもが思わなくていい、と寅子が大きい声で言ってくれるのはうれしい。

でも、寅子の「変貌」、からの直明勉強しなよ、には強い唐突感があった。
本来寅子がもっていた怒りの火みたいなものが、ずっと消えていたのに急に最大火力になったことに対する戸惑いというか。

その火を、蓋をして隠していただけで、本当は燃え続けていたのです……みたいなことなのかもしれないけど、それにしては本当に静かすぎたから。あの時代に家の中にい続けるというのはそういうことなのかもしれないけど。

BT 虎に翼(優三と新憲法) 

そういう言説があるらしいということを散見しているものの、その言説自体は見ていない。見ていないのに何か言うのはよくないことではあろうけれども、今見たら「はあ?」を越えて怒りを覚えてしまいそうなので探しに行きたくはない。

その言説って、戦争を筆頭とするあらゆる抑圧の矮小化だと思う。そして、差別という今も根強くはびこるどころか強まる一方である「現在の問題」の矮小化になりかねないものだと思う(っていうか差別の話どこいった)……。

広まるってそういうことなんだろう。よねにウェディングドレス着せたファンアートとか。そういう社会に放つ作品として、「寅と翼」には描いてほしかったものがあった。

それが描かれなかった(と私が受け止めている)のが作者の力量によるものなのか、何かしらの意図が働いたものなのか、朝ドラの限界なのか、受け取り手である私の問題なのか、わからないけども。

今日6/4(火)の「虎に翼」 

花江が語った「直道を死に至らしめたかたきの国のひとと話したという寅子の話を私は笑えない。でも日本が負けたのだからしょうがないんだよね」というような話(「」内は正確な書き起こしではない)を、私は「2024年に放送する作品として、日本という国(の政治を執り行った者)の罪を矮小化する描写だな(花江がじゃなくて作品が)」と受け止めた。

花江のかなしみが癒えないのは当然だし、あの時代のひとにとってはあの感覚が自然であったのかもしれないが、放送するのは2024年なのだ……。

他方、「ごちそうさん」でもアメリカのひとをかたきとして扱うような表現は確かあったと思う。あのときは「さもありなん」だと思っていた。
その違いの理由としては、受け取り手である自分の変化がまず大きいのだろうと思う。けど、「寅に翼」のここまでの戦争描写を背景として解釈すると「やっぱそっちなの」ってなってしまいはする。

「虎に翼」のシナリオ集 

ところで、寅子が穂高に「なんじゃそりゃ」となって弁護士を断念することになった週、作品にはのらなかった桂場の発言というものがシナリオにはあったそうだ。

それは今週の桂場の「君は弁護士を諦めたじゃないか」的発言につながるものであるようだ。
どなたかがそのようなツイートをしていた。

あの桂場のスタンスにはちょっと違和感があったので、そういうものがあるなら読んでみたいと思い、当該週のシナリオ週を買ってみた(まだ読んでない)。

でも、それで解釈が変わるのだとしても、「本当はそうだったんだ……!」ってなれないよな。大半のひとは映像だけ見ているわけだし、毎週数百円のシナリオを買えるひとばかりではないわけだし。

今日6/7(金)の「虎に翼」とTwitter(今日のストーリーに関する言及あり) 

朝ドラの最初の放送が朝8時前後。10時台にTwitterのトレンドに「花岡の死」が出ていて、TLには花岡のモデルになったひとの話とそのひとに関する記事と来週出るらしい人物の話が(見ようとしなくても)出てくるとか、その消費量とスピードの滝に溺れて酸欠になるような気持ちになってしまった。用事があってTwitterに行ったんだけど、命からがら帰ってきた気持ちになった。

ひとにはひとのタイミングがあって、それが重なっているだけであって、MastodonだってBlueskyだって投稿するひとはいるし、自分のタイミングで自分の思うことを投稿すればいい(私が見ないように努めるから)(Mastodon以外はCWがないのが本当につらいけど)ということは今日に限らず思っているけど、なんか怒涛過ぎて……。

今日6/7(金)の「虎に翼」(今日のストーリーに関する言及あり) 

花岡の死は、数日前の描写で予測ができたのだけど、花岡にもモデルがいたのか。寡聞にして知らなかった。

本当にいたひとをなぞることは、いたひと、いるひとをちゃんと見ているという意志の表明にもなり得るもので決して悪くはないはずだけど、本作の場合ここまでのあれこれがありすぎて、「なんかそんなのばっかりね……」になってしまっている。

昨日から今日の穂高の描写は「ほんとうめえな!」。
「Twitterでとらつばを激褒めしているリベラルのひとのなかにも穂高みたいなひといそう」というようなツイートをしていたひとがいて笑った(笑えないけど)。

「虎に翼」に関する私の投稿、「ストーリーに言及あり」と書いてない投稿でもストーリーの言及がある場合もある! ごめん! 今後もそれでいきます(のでCWします)!

今日6/10(月)の「虎に翼」(と私) 

朝起きるとまずスマホで何らかのSNSを開いてしまうという悪習が私にはあるのだが、昨晩TwitterでいただいてたDMがあったことから今朝はTwitterを開いてしまい、登場人物についてほぼネタバレをくらった状態での「虎に翼」とあいなりました。私の不注意です。

よねが轟に「白黒はっきりさせなくてもいいし、私にも別に言う必要はないんだ」みたいなことを言ったのはとてもいい、必要な言葉だった。

けど、でもその言葉が2024年の日本に流れたとき、「視聴者が轟の感情から(というかシスへテロの恋愛以外から)目をそらしてもいい」という免罪符として(も)機能してしまってるんじゃないかという、非常に残念な感想を、そのTwitterを眺めていてもった。

「虎に翼」(と私) 

私もだいぶ熱量が落ちてるなという自覚はある。
今朝の自分の行動は不注意だけど、実際、事前情報を入れないようにする努力の優先順位も下がってはいるんだよな。

これからもたぶん見るし、なんか言うけど、「おまえまじかよ!」と作品の肩をつかんでぶんぶんふりながら言うような熱量ではなく「ああ、はい……」というテンションになっている感じはある。

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