(1/2)2割くらいの方が「不自然」でしたね。私も不自然に感じます。
私が気になったのは、助詞の「で」です。以下仮説ですが、動詞文の中で動作の位置を示す「で」に関しては
1. 瞬間動詞ではないこと
2. 動作の主体が意思をもった存在であること
でないと、不自然に感じる可能性があるのではないかということです
※瞬間動詞……一瞬で状態が変わる動作を指す動詞。「知る、結婚する、座る、立つ」など。
私はもと編集者・ライターですが、私だったらこの文は使いません。赤を入れます。
「家の前で木が燃えていた」……燃える、は瞬間動詞ではないのでまったく不自然ではないと思います。
「家の前で猫が死んでいた」……死ぬ、は瞬間動詞要素が強いのですが、猫、は意思を持って動くものなのでこれも不自然ではないです。
(2/2)「家の前で木が折れていた」……折れる、は瞬間動詞の要素が強く、木、も意思を持っていないので、私は不自然に感じます。言い換えとしては「家の前の木が折れていた」(助詞「で」を回避)「家の前で木が折れているのを見た」(助詞「で」を動詞「見る」にかからせる)、ですかねぇ。
こういった細かな文法は、地方・年齢層によっても不自然かどうかの意見は分かれると思います。例えば関西のお年寄りは「トイレットペーパーがなくなれば補充してください」と言いますが、これは関西以外では間違った文法とされます。標準語では後節に命令・依頼・勧誘が来る場合は、「れば」ではなく「たら」を使うべきとされています。
@zpitschi @Tonbi_ko @paulmynci_1 @adachika192 @Panda
1.「折れる」は瞬間動詞だから不自然である
2.「折れていた」は状態だから瞬間ではない
という両方の意見を読みましたが、私は、「家の前で木が折れた/倒れた」の方が許容できると感じます。
これは「意思を持っていない」木の「瞬間動詞」であり、「状態」ではありませんが、どのように考えたらよいでしょうか?それとも加藤さんは「木が折れた/倒れた」も不自然だと感じますか?
「家の前の木」の場合は、最初からそこに木があることが前提なので、少し表現していることが違うように思います。