折口信夫に「ごろつきの話」という小論文(講演記録)がある。
aozora.gr.jp/cards/000933/file

ここで折口は「無頼」や「無頼漢」を「ごろつき」と読ませ、無頼=ごろつきの具体例として、うかれ人、ほかい人、野ぶし、山ぶし、念仏聖、虚無僧、くぐつ、すり、すっぱ、らっぱ、がんどう(強盗)、博徒、侠客、かぶき者、あぶれ者、町やっこ、舞々・舞太夫、しょろり・そろり、無宿者・無職者などをあげている。

時代は違うが、この無頼漢リストはマルクスの列挙したボエーム=ルンペンプロレタリアのリストを思わせる。
ただし、マルクスがルンペンプロレタリアを歴史の夾雑物として扱おうとしたのに対し、折口は「ごろつきの話」の冒頭で次のように述べ、日本史における無頼=ごろつきの存在と役割に重いものを与えた。ここで言う「時代」も、古代から近代初期までの長い期間を指す。

《無頼漢などゝいへば、社会の瘤のやうなものとしか考へて居られぬ。だが、嘗て、日本では此無頼漢が、社会の大なる要素をなした時代がある。のみならず、芸術の上の運動には、殊に大きな力を致したと見られるのである。》

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《こうした貧民は結局零落してしまう者が多かった。すると流れ者の仲間入りをして各地を放浪するのであるが、フランスの浮動人口は、一七八〇年代までに数百万もの自暴自棄の人びとを含んでいる。修行の旅にある職人、旅役者の一座、いんちき医師や薬売りといった少数の幸福な人間を除き、放浪の生活は文字通りはきだめに食物を漁るに等しかった。浮浪者たちは鶏小屋を襲い、番人のいない牝牛から勝手に乳をしぼり、生け垣の洗濯物を盗み、馬の尻尾を切り落とし(馬の尻尾は家具職人が買ってくれた)、施しが行われている場所にくると、自分の身体を切り裂いては病人になりすました。また、軍隊に入っては脱走することも、度々繰り返した。彼らは密輸者、追い剥ぎ、掏摸、娼婦になった。そして最後には施療院で死ぬか、茂みか干し草置き場に這って行き、そこで息をひきとった。乞食の生涯が終わったのである。》――ロバート・ダーントン『猫の大虐殺』(海保眞夫・鷲見洋一訳)

マルクスの「ボエーム=ルンペンプロレタリア」、折口信夫の「無頼=ごろつき」
fedibird.com/@mataji/112356959

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